岡田斗司夫によると、コカ・コーラの原料は、元はコカインだった。
Wikipediaを調べるとそれらしき記述もある。
それは飲めばハッピーになりますね。
コカイン中毒の大本だった。
オリンピックゲームの協賛をして、アンチドーピングするとか、印象操作もしますよね。
JTが電子タバコ化を進めるのは、ニコチン中毒による消費を継続させることが事業運営の肝なので、体に悪いことがわかっていても継続させるわけです。
少しでもたばこ税を安くして、健康被害が少なく、匂いもきつくない電子タバコが売れたほうが事業運営は継続できる。
かつて参入して撤退した飲料水事業に手を出したりする必要もない。
ネットワークによりメディア手法が変わってきて、テレビ放送の意味が薄れつつある中、NHKが受信料を請求するのは、そうしなければ潰れてしまうからです。
テレビ離れは民放の広告減にも繋がります。
テレビに大衆を惹きつけられなくなって、消費行動をコントロールできないわけだから、広告を打つ意味もなくなるわけです。
テクノロジーによりライフスタイルが変われば、消費行動も変わる。常識も変わる。
一般知識も変わる。
当然流行っていた文化も流行り廃りで消えていく。
性的マイノリティーやナチスをお笑いのネタにできる時代ではなくなっている。
お笑いの体を痛めつけて笑いを取る方法はできなくなっている。
タピオカドリンクって、なんであんなに流行ったのかわからない。
自由経済主義が完全な正解とも思えない。
金が全てを解決するとは思えないのだけれど、今生活をするにあたっては最低限必要ではある。
日本はその金を働いて納税することが常識化しているけれど、長期的歴史や別の文化圏を見ると、唯一の価値観ではないと思う。
豊かさや幸せは金では測れない。
とはいえ、貧困でカツカツの状況で、ゆとりのある自由な発想ができるかという問題もある。
すべての行動に時間的、資本的、知識的、能力的な制限が存在する。
それを100%有効に活用できるわけではなく、失敗も計算に入れなくてはならない。
ただし何も計画対策せずに、浪費した上に損失を与える人もいるので、誰にでもそれらの資源を渡せるわけでもない。
本当の自由はそこにはないと考えている。
それはただの浪費ですよね。
多少の余裕がある中で、できることプラスαで付加価値が与えられると思う。
そんなことも過去の歴史で色々と議論されているんですよね。
ユーラシア大陸で非常に大きな国であるロシアは、ロシアの前には連邦国家さえなかった農耕民族だとか。
中国は文化大革命で内部権力が暴走して、モラルも文化も経済も崩壊してしまったとか。
キリスト教などの宗教は政治と密接に関係していて、シスターや教えは、反逆的でない従順な一般国民を作り出すために存在するとか。
日本国内で表の歴史だけをなぞってもわからないことは多いわけで。
知らないから幸せということもあるんですが。
表だけの騙されている知識を正だと主張しても、裏の裏も知っている文化からすれば、もっと勉強しなさいよとなるわけで。
そんな裏の社会的差別が、派遣問題と深く関わっているなぁとも考えています。
日本社会は平等ちゃうよ?