ささかのブログ

雑多な思考整理のためにブログを活用中。
自分が生きやすくなればいいと思うけれど、教祖になるつもりはない。

人だから想像する

2022-05-29 19:34:41 | Culture
死にたくないという欲求が生み出すのが、死後の世界。

人の想像として存在するが、実際は存在しない。

幽霊も、心霊現象も、生き返りも、異世界転生も、天国も地獄も、人が死んでも生きられる前提で生み出される想像の世界や現象。

ゲームのようにコンティニューできる。

いや、できないよ?
というのが私の前提理論。


眼の前を翔んでいたり、音だけを鳴らしている蚊が、天国や地獄の罪状を気にして生きているか?

スズメや鳩が、心霊や幽霊を恐怖に感じているか?

もっと身近な自然の脅威のほうが重要です。


ヒトは死後の世界を想像してしまった。

その想像の世界に判断を曲げられてしまう。

血液型性格診断、タロットカード、星座占い等などに判断を委ねるなどもそれに類する。


産業革命以前は、宗教が科学を上回っていたんですよ。

地動説を天動説が上回るぐらい力があった。

地動説を唱えれば死刑になるぐらいの罪だった。

想像の世界が現実を上回っていた。


科学が万能だとも思ってはいないのですが。

自然現象をモデル化して、計算しやすくするツールですね。

効率よく自然現象を扱える。


猫とか犬を見て思うのは、彼らにはそのような思考の縛りがない。

それぞれの個体には、病気による体の不具合や、仲間内の対応関係はありますよね。

しかしヒトほど、無いものを想像して考えることはしない。

だから宗教はない。
信じる政党や年中行事もない。


想像力ともいうけれど、それがあるからこそ無いものを創り出すこともできるけれど、自然界に存在しない価値によって行動を制約したり、間違えたりする。

信心ともいう。


理性的判断とは、間違っている価値観を排除して、現実を正しく見つめて導き出す判断とも言える。

逆は感情的判断。直感的判断ともいうし、短絡的判断でもある。

感情的判断を、理性的判断に転換するために、想像を働かせることもあるだろう。

黒を白に、白を黒にするための論理を成り立たせる必要があるのも人社会。


過ぎてみれば馬鹿らしいと思える価値観ですけれどね。

地球上の文化的先進国でさえ千年近くその想像に支配されていたし、今でもその支配はある。


真理は残酷だけれど、その残酷さを受け入れられることが、頭の良さとも言えるのかなと。

慣習というノイズをどれだけ除去できるか。
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すべてがつながる

2022-05-29 03:12:01 | 日記
真実はいつもひとつ

振り返ると、20年ほど前に自分に起こった悲劇、それはその後の自分に大打撃を与えた負債なのだけれど、その出来事のすべてが繋がった。

思えば非常にくだらない人のサガであり、その負債を知っていたがため生かさず殺さずを続けていた組織。

それが前職で起きた出来事。


復讐に人生を費やしてもいいけれど、より効果的な方法であれば自分なら考えられる。
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バカを演じる

2022-05-27 06:03:59 | Human
お笑い芸人のように、バカを演じ続ける、バカであると扱われ続けるというのは、生きることが大変で。

バカ=能力が低い=モラルがない

と認識されるため、重要な仕事を任せられない、収入を得る仕事を得られないなど、社会的な立場も低くなる。

バカなのに要職に就いてしまう、モラル欠如人間もいるけれど。

ジョーカーを観たけれど、見ていてしんどかったなぁ。


先日、お笑いトリオの一人がなくなったとの報道があり、その報道の扱いについて議論があった。

自死?だったのか、しっかり確認はしていない。


バカにされながら生きるというのは、非常に生きづらいものですよ。

他人からも、自分からも、常に否定され続ける。

自己の尊厳も、自己肯定感も下がる。


YouTubeなどの配信者も、バカであるかどうかはともかく、カリスマ性があるかどうかも重要で。

一日の貴重な時間を、その配信者のコンテンツを見るために割くというのは、それはもちろん嫌いであれば連続しては見ない。

一時の好奇心で再生数が伸びることはあっても、長い期間、別のコンテンツにも視聴者が付くのは、カリスマ性という魅力があるためで。

知名度の高いVTuberが、メンタル不全や体調不良で休んだり、辞めたりするのは、そのような心理状態なのかもしれないと思っている。

基本的に彼ら、彼女らは長い下積みを経て、表舞台に出るための修行をしてきたわけではない。そんな人は多くないけれど。

ほとんどの人と同じく、バカにされれば傷つくし、社会に不要だとか、悪だとか、生きている意味が無いとか言われれば、死にたいぐらい落ち込む。

そうならないように、評価されるよう毎日配信し続けるけれど、更にミスを重ね、自己肯定感を下げて、自分を傷つける。

そんな負のスパイラルが起こる。


お笑い芸人でも、そのようなカリスマがあるからこそ政治家になる人もいる。

文化人となる人もいる。


特別であり続けるというのは、少数派であり立場が弱い。

攻撃に耐えようと思えば、攻撃する人を馬鹿にするとか、無頓着になるとか、別の達成価値を見つけて邁進するとか。

落ち込むんですよ。当たり前にね。
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人生企画

2022-05-26 16:54:04 | 日記
サラリーマンの先に夢があるか?

ないからやめるのですが。

生活を維持するだけの仕事に、なんの意味がありますか?

人生の大半を費やすのにも関わらずですよ。

時間と労働力を他人に使役されて消費されて生きるという行為に、あまり価値を感じていないのです。

私が知っている限り、その人生を幸せだと感じさせる人はいない。

当人が幸せかどうかはともかく。


では、サラリーマン人生の代替としてどういう人生を送りたいのですか?

自分自身の、その企画計画が甘くて。

最終ターゲットをどこに設定して、どうする?

という、最終形態がぼんやりしすぎている。

だからいろんなことに手を出して、どっちつかずになっている。

それができるのが幸せ?色々やるための苦労ではあるけれど、目指す幸せのレベルはそこではない。

それを見つけるために、旅をしたいと考えている。

何も見つからないかもしれない。

悶々として、目的も役割も見えない人生を送るのを避けるために、どうするかの一つですね。

きっと答えはすでに出ていて。

意図的に忘れている可能性が高い。

それを思い出す作業。
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話す

2022-05-19 23:38:03 | 日記
「王様の耳はロバの耳!」

と、井戸に叫ぶようにブログに文字を連ねるのですが。

生の人に言いたいときもあります。

結局のところ後悔する。

別に他人の生き方を変えたいわけではない。

自分が生きやすくはなりたいけれど。

どうせ同意はされないので、結局独自路線を維持するわけで。

正論ばかり言われても、嫌になるのは同意しますよ。

そんなとこ。
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