「批判」というのは、文芸・美術・文化における「批評」に対して、哲学における「ある作品の出来・品質・良し悪し(quality )についてのあらゆる議論」であって。
カントの「人間の認識能力に関する限界や妥当性についての反省的な考察」という意味でのドイツ語Kritikを日本語で批判としている。
以上出典はWeblio辞書とかWikipediaとか。
言葉の原点となる詳細はカントの著書を読めばいいのだろうし、実際に自分の書庫にはあるのだけど、積ん読になってます。
個人的な考察として、批判対象と違う人のほうが批判しやすいのだろうな。
批判する側として、自分より下だと思う人のほうが批判しやすい。
ワイドショーなどで槍玉に上がるのは大体そんな感じ。
逆に自分より立場が上の人は、直接的に批判しづらい。
批判する側としてやっかみとも受け取れたり、権力には従って逆らわなかったりしたほうが、組織内で生き残りやすいとか。
だから、立場が上の人が犯罪や犯罪的なことをすると、批判しやすいので、徹底的に批判する。
炎上騒動やらはそんな感じ。
恣意的に失敗を誘発して、犯罪的行為を際立たせるなんてこともある。
最近では「アンチ」とも言うか。
コミュニティの中で、特に日本だとコミュニティの人と人の結びつきが非常に近いということもあって、批判に対して非常に敏感だと思っていて。
飛び抜けた才能を伸ばしたり、多様な生き方を容認することに消極的で、平凡で凡庸に落ち着くための引力として批判という引力が働く。
噂話や悪口や陰口とも言いますが。
その引力は、意識しているかいないかにかかわらず強力で、物理学で例えるなら、地球の引力から脱出するのに第二宇宙速度以上を出すエネルギーみたいなもので。
大抵の人はその引力に逆らえずに、凡庸な凡夫として、平凡な人生を送る。
いわゆる普通の人。
そのような引力に逆らって宇宙に飛び出す人は、コミュニティの中でほんの少し。
他人の噂話やら批判や評価に対して自分に制約をかけない。
完全に宇宙に出てしまえば、批判引力の影響も及ばない領域にさえも行けるけれど、それでも貶めようとする力が働いたり、超越した機能や能力を犯罪的に評価したり、実際に犯罪となり刑罰を受けたりすることもある。
色んな複数の要素で場合分けして、カテゴライズしてどんな特性があるか、どんな方向に進むかとか、しっかり考察してみようとも思うけれど。
批判の引力は強いですよ。
そんなわけで、このブログの内容も他人の全ての判断基準に当てはまるわけでもないとは思うので、自分の思考整理のためとしていますよ。
逆に言えば他人を操作する手段として有効なのも批判だったりする。