坐禅寺の和尚に、
「宗教なんてみんなカルトですよ」
「そういう人は助かる」
というやり取りをした経験がありますが、
立正佼成会
創価学会
キリスト教
やらなんやらの宗教行事に参加したりしたけれど、結局染まってはいない。
染まってはいないけれど、そうやって宗教行事に呼ばれてノコノコ行ってそのまま帰ってくるという人も、そういるのかいないのか。
宗教なのかなんなのか、ボーイスカウトにも参加してみたり。
「備えよ常に」は重要な概念だと思います。
真言宗の火渡り修行とか。
タイの仏教行事とか。
染まってもいいかなと思ったのは、禅宗の曹洞宗かなぁ。
ほかはお金の匂いのほうがプンプンしてちょっとね。苦手。
そういう意味では、会社のほうがカルトですよね。
よくわからないローカルルールでお金のために動くというね。
宗教とがっぷり組んでいる企業もあったりしますし。
間違って入社しちゃった若い新入社員は大変です。
イスラム教とか、国単位で組織立っている人たちはかなり厳格な行動理論で動いてますよね。
メッカへの礼拝もGPS使ってやるぐらい。
ラマダンとか何があっても実行したり。
牛肉や豚肉の制限に厳格だったり。
それを踏まえると、日本人はどんな宗教行事もやってしまうし、中国ほどではないにせよ、大抵の食べ物は食べてしまうし、最近では昆虫食の自動販売機があるらしいのでなぁ。
食べる気はない。
信仰の自由もありますので、他人が何を信じていても構いませんよ。
坐禅寺の和尚に、
「坊さんにならない?」
と言われて、
「すんごいルールがいっぱいあるじゃないですか?大変そう」
と答えたような気がする。
一般社会を生きるのにでさえ基本的な大量のルールが存在して、守り切るほうが大変なのに、そこにさらに厳格なルールが加わるわけで。
ルールの矛盾の解決のほうが問題になりますよね。
会社も同じですよ。
同様に地方のローカルルールもね。
ローカルルールに合わせて生きることもできますが、結局のところグローバルルールとの矛盾に苦しんでしまう。
ローカルルールを逸脱するのではなく、ローカルルールの中で極限まで精度を高めてグローバルルールに合致するように行動すると、誰も文句を言えない状況になったりする。
超過剰適応障害なんて名付けたりしてますが。個人的に。
ある業界におけるプロフェッショナルなんて、ある意味そんな感じですよ。
本当にどうにもならなくなったら出家してもいいかもね。
重篤な精神病患者として薬漬けになるのもいいんじゃないかな。
ローカルな文化で過剰に適応して生きるのと、何が違うのかイマイチ理解しきれてないので。