ささかのブログ

雑多な思考整理のためにブログを活用中。
自分が生きやすくなればいいと思うけれど、教祖になるつもりはない。

MBAを取る動機

2024-03-11 09:58:32 | Office
先日会社の経営者と話して、そんなものかと思った出来事。


理工系の大学に入って、勉強しなかったので、MBAを取った。


これはどういうことかと言うと、その人は理工系大学の航空宇宙工学科に入ったけれど、しっかり勉強しなかった。

だから技術者にはならなかったし、なれなかった。

自分の将来のために、MBA(経営学修士)を取って経営に参画することにした。


技術を真面目に追求することができないということは、ある意味経営に向いているとも言える。

長期的かつ真面目な深堀りは、どちらかといえば技術開発に向くが、経営的判断には向かない。


技術的深堀りができる特性を持っているのなら、それをさらに深堀りして活かせばよいという考え方もある。
得意分野を伸ばす方法だ。

しかしその場合、悪い仕事でもうまく遣われてしまうという問題もあって、それを防ぐためにも大局的かつ政治的なコントロールが必要になる。


そんなわけで、現在私は社会経済を学んでいる。


現在能力の深化でなんとかなるのであれば、新たなことを勉強する必要もないのだけれど、人として生きている限り万能ということはない。

万能な人は存在しないし、そもそも人類は全知全能でも万能でもないのだから、日々改善し変革成長していく必要がある。

現在の自分の能力が足りないと実感することで、新しいことを学んでいく。

技術課題と対峙した際に、技術を極めようとするか、政治的に対処しようとするかという手段を選ぶ必要も出てくる。


自分は技術の深堀りでなんとかなっていたのだけれど、技術だけですべての対策ができるとも思ってはいなかった。
だから政治経済を学ぶ必要も感じていたし、そのために時間と費用を確保する必要もあった。

技術的対策が忙しくなると、時間の確保はおろか、体力を確保することも難しくなる。

ある意味言い訳だけれど、別分野を学ばずに済むぐらいの技術力を身に付けてもいた。


自分の適正な給与はいくらなのか、自分の適正な肩書は何なのか、仕事や給与交渉をするにあたって必要な情報なのだけれど、実際のところこれを明確化するのは骨が折れる。

厚生労働省が各職業の平均給与を統計算出しているので、それを用いて給与を計算する。

同一価値労働同一賃金計算シート

同一価値労働同一賃金計算シートです。※「ファイル」→「ダウンロード」→「Microsoft Excel(.xlsx)」の順に選択し、エクセルファイルをダウンロードしてください。


業種別平均給与を計算する方法を明確化するのもけっこう大変だったのだけれど、さらに大変なのはこれを周知することではある。

せっかく国家公務員として、厚生労働省の官僚になった人たちが、日々苦労して算出した統計データなのに、有効活用しないのはもったいないでしょう?


ところがこれは技術屋的なまじめな考え方で、一般的な人は、とりあえずゴネる。

証拠や根拠を明確化するよりも、理不尽であろうとも、ゴネて自分の意見を通す。

一般的な人々の社会的なやり方は、論理的整合性云々よりも、ゴネたり、脅しすかし褒めてでもやらせてしまうというもの。

そこまでするまでもなく、普段の日常生活では、ちょっとした笑顔や清潔感や挨拶、無駄な発言はせずに簡潔に応答するなどを心がけるだけで、かなり生活はしやすくなる。

それだけで買い物の会計が楽になる。

論理的かつ地道に生きるか。
感情的かつ即興的に生きるか。


両方あるといいけれど、そう簡単でもないので。


音楽のかっこいい即興演奏が成立するのは、地道な練習や音楽理論の探求をしているからではある。
その積み重ねが辛く苦しいのであれば、練習も勉強もしない。
音楽が楽しいから練習する。

知識技能にしても、面白いからやるというのが最大のモチベーションだと思う。

それと、必要であると実感してその環境があるのだったらやりますよね。

夢を持つというのは、望む環境を作ったり、望んでいた環境が巡ってきたら、見逃さずに行うための準備や心がけとも思います。

逆境が視点を変えるためのきっかけで、それがとんでもないメリットの場合もあります。
いわゆるピンチはチャンス。
それを見逃さないようにするには、普段から様々な対策を練っておく必要を感じます。

技術と経営

2024-03-10 02:08:08 | Office
技術開発にはコストがかかる。
集中して費用と時間をかけて深堀りする必要がある。
そうしないと、新たな知見や成果が出ない。
深入りすればするほど視野狭窄になり、セクショナリズムが進む。

反対に、経営判断にはコストがかかりにくい。
たくさんの情報を集めて、費用をかけずに即断即決していく必要がある。
あまり深入りはしないで視野を広く持ち、社会を広く知って、組織全体を見て多くの人とコミュニケーションする必要がある。

技術開発と経済的経営は特性が逆だと思う。

なかなか分かりあえない。
理系と文系の違いとも言える。


私はどちらもやる必要があるし、やってきたわけだけれど、経営的な判断は単純に好きではない。

ただ、どちらか片方だけでは長期的な仕事にならない。

技術開発だけに専念すると、財務基盤の経営体力がなくなる。
市場から求められる商品開発ができなくなる。
全体戦略として間違った方向に向かっていても気付けない。

経営だけに専念すると、現場技術がわからなくなり、原理原則に反した仕事を行ってしまう。

どちらも企業として長続きしないことになる。


厚生労働省の職業の種類は4000種を超えている。
一人の人間が一生のうちにそれらすべてを体験することは不可能だ。
一日一業種を経験することができるかもしれないけれど、一日ですべての仕事の習熟はできない。
仕事の習熟や熟練には、数年レベルの業務経験が必要になる。

文系と理系の考え方は違う。
両方できる人は少ない。

本田宗一郎と藤沢武夫のコンビは絶妙だった。
技術の深堀りが必要だったから、本田技術研究所を作ったと言われている。
そして技術者を社長にして、経済屋は社長にならないとした。

世の中全ての会社はそうではない。

尤も、現在の本田技術研究所は技術屋が社長であるとしても、文系の政治家的考え方のほうが優勢になりつつある。
トヨタに追いつけ追い越せとなると、政治的判断を主体に据えて判断する必要がある。
しかし、政治的判断は技術屋とは特性が逆なので、一朝一夕に身につくものではない。
深い世界の歴史や文化、政治経済の成り立ち、民族の変遷、経済学の成り立ちの学習、営業感覚的曖昧かつ矛盾した即断、人を経済的道具として考える、戦略的裏切り等、技術屋があまり好きではない、知識を身につけ、思考方法をする必要がある。

それらは技術屋が「愚か」と判断する内容である。

同様に技術に視野狭窄になり、騙されて人にいいように使われる正直な技術屋も、狡猾な経営としては「愚か」な存在になる。

特性の壁はかなりあるのだ。

アメル

2024-03-08 23:19:24 | Health

精神安定剤なのだけれど、これが全身神経痛にとても効くことが分かった。

寝ても取れない神経痛や頭痛が軽くなる。

腹が立って夜中に起きるとか、減らすことができる。

今大量に飲んでいる神経痛の薬やらロキソニン関連の鎮痛剤が減らせるなら、とても健康的な話だ。


母方の祖母が神経痛持ちで。
父方の祖父は9時間のロングスリーパーだった。

多分遺伝だから、治らないんだろうなと思って諦めていたけれど。
いや、治っているわけではないのだけど。

これが原因だとすれば、睡眠不足も解消されて、日々のストレスのほとんどが消えるため、それだけでも人生の質が上がります。

わざわざマッサージに通う費用の削減になるし、有意義に使える時間が増えるので、良いことづくめなんですよね。

休みの日をより有効活用できるし。

とはいえ、喉元過ぎて熱さを忘れてしまうので、忘れないための防備録です。


自分の身にも色々起きているけれど、それ以上に世の中色々起きている昨今です。

心中穏やかになるためにやれることをやりますよ。

休むことにした

2024-03-06 10:18:36 | 日記
休んでる場合じゃないと。
特に仕事をしていない、就活中なのですが。

休もうと思います。

平日休日関係なく動き回っています。

睡眠時間はしっかり取れているのですが、熟睡はしていません。

体を鍛えることと、勉強することと、将来の計画を立てたり、現在の対策をしたり。

VTuberの入院を見て、過去の自分の入院を思い出したり。

無理してたなぁ。
限界を超えていたんですよね。
他の人は既にオーバーワークだと思っていたけれど、自分ではまだ足りないと思って追い込んでいた。

休めるときに休む。

入院しても働く様にならないため、独占資格を取るという選択

2024-03-05 19:41:18 | Human
自分は入院しても無理するんだろうなぁと。

実際、入院するに至っても、仕事をし続けた実績はあります。

相当な無理をしてもやろうとするという点においては、しぶといとも、諦めが悪いとも言えます。

そこまでしてどんな出力や利益があるのか、しっかり考える必要がありますね。

結局のところ、得るものがないのならやらないという判断もあります。

ただ社会の歯車になってしまうとか、人に使われるだけで終わるという人生にならないように、しっかりと自分の人生を見極める必要があるでしょう。


子供の頃から業務独占資格・名称独占資格を取って、サラリーマンにならないという手もあります。

■業務独占資格
資格を持っている人だけが、独占的にその仕事を行うことができます。

弁護士
司法書士
行政書士
税理士
弁理士
社会保険労務士
通関士
宅地建物取引士
医師
歯科医師
看護師
保健師
薬剤師
助産師
准看護師
歯科衛生士
歯科技工士
診療放射線技師

■名称独占資格
資格を持っている人だけが、その名称を名乗ることができる資格です。

栄養士
保育士
保健師
作業療法士
マンション管理士
社会福祉士
介護福祉士
技術士
中小企業診断士


子供だけでなく、大人になったからこそ取れる資格というものもあるので、そのあたりしっかりと見極めて取得する必要があります。

医師や弁護士などになれば、薄給で下働きするサラリーマンにならなくて済むわけですが、自立・独立できない人がなると最悪な職業でもあります。

大学に入ったら、国家公務員・地方公務員試験を受けるという手もありました。
過去形なのは、公務員がバラ色の人生ではなくなってしまったため。
会計年度任用職員になると、公務員のメリットはまるで有りません。
というよりも、非常勤雇用形態が認められてしまった時点で、公務員が使い捨てになる事が明確化してしまったので、生涯約束された雇用形態は夢物語になりました。

そもそも生涯約束された雇用形態なんてものは、人の歴史上非常に怪しい。

国家公務員の中でも、労働基準監督官の自殺などを聞くと、人が使い捨てされてしまう実態社会を感じます。


公務員試験のメリットとしては、社会の仕組みをしっかり理解するという側面もあります。

社会の構造、世界の構造、経済の構造を網羅的に学ぶことによって、個別ではなく全体で物事を把握できるようになります。

マクロ経済学やミクロ経済学などで、社会や経済の動きを把握することができます。
社会や経済の動きが把握できるということは、人の人生の流れが把握できるということでもあります。

つまり、盲目的に生きる必要がなくなる。

あくせく毎日働いて日銭を稼ぐ必要がなくなる。


それでも手に職を持つということは素晴らしいことだと考えているのですよ。

持論として、頭と口だけで人は生きることができない。

手足体を動かすことができなければ、食事を摂ることもできないし、排泄もできない。

最低限自分の身の回りのことは自分で面倒を見れることが、自立のための最低限の要件になるのですが、その最低限ができない人も相当いるというのが私の実感。

照明が切れたら自分で直せるか?

そんなときは人を呼ぶ。
それも手ですね。

震災被害にあったとき、ライフラインも連絡手段も途絶えました。
生きる術を持たなければ、自分が生き残ることもできません。

自分の家の掃除は自分でしなければなりません。
壊滅的な被害を受けたとしても、周りも同等に被害を受けているので助けを呼べない。

災害ボランティアに参加して、震災津波被災地の住居を片付けました。
どんなに無能だと思っても、そこに行けばやれることはあります。

そんなことを経て、人に助けを求めることも分かってきます。
自分が社会に奉仕するように、社会が自分に奉仕する必要もあるのです。
助けを求めることは悪いことではありません。
同様に、逃げることも生きるためには重要だとわかります。


日本から出たいですよね。
世界的に見れば、日本は単一民族、単一言語の稀有な国です。
島国であるから、隣国から異民族、異言語、異文化の侵略を受けることはまずありません。
だから、安全保障条約を自ら締結する必要もないし、大量虐殺を防ぐ国連のジェノサイド条約を締結する必要もありません。

数百年にわたり、自分たちから仕掛けない限り戦争は起こらない平和な国です。
一般国民が真面目に政治学を学ぶ必要もありません。
投票の必要性さえわからなくてもよいのです。

平和な国であることは確かですよ。
でもそれは逆の視点で見れば、世間(世界)知らずのバカであって、そこに憧れる外国人がいるとしても、一面はバカにしている部分もあるのです。
ガラパゴス諸島で独自の生物進化を遂げている生物を見るようなものです。

それは労働問題にも現れているわけです。
過酷な労働条件の下で自分の健康を犠牲にしながら使役されている状況に対して、文句を言ってはいけない。
義務教育という名の、職業訓練教育があまりにもうまく行ってしまっています。
尋常小学校の延長がそのまま続いているのです。
運動会の競争も、体育も、そろばんも、国民皆一兵卒なんですよね。
「君たちはどう生きるか」の映画や小説でも語られています。


入院するぐらいの状況なら、そこ(日本)から出ちゃってもいいと思いますよね。
さらに言えば、わざわざ自ら死ぬこともありませんよ。