
写真は金武区の上の毛(ウィヌモー)に立つ「大城孝蔵」の碑。
大城孝蔵は、フィリピン移民、ダバオ開拓の功労者として知られる。
金武町民は南米移民も多いが、フィリピン移民も多い。その移民地フィリピンに「リトル金武町」が形成されていた。それを裏付ける資料がある。「金武町史誌」。編纂員の地道で莫大な聞き取り調査によって、フィリピンにあった金武町人街が地図になり、屋号と共に明らかにされた。初めて「金武町史:移民編」を手にした時私は驚いた。
私の父も(若いある一時期そこに働きに行っていた。しかし、戦争の足音が近づき、徴兵が近づいていた父は故郷から出兵したいと沖縄に帰ってきた)という話を聞いていた。が、これほど(一つの町がそっくり移動したような)の方が、移民して豊かに暮らしていたとは知らなかった。ほとんどの方がマニラ麻栽培に従事していた。
大城孝蔵は大規模なマニラ麻栽培を成功させ、ミンダナオ島ダバオ開拓の先駆けとなった。ダバオ市の開発発展に尽くした功績は多大で、現地住民からも慕われ、バブセロ(パゴ・オーシロ)という地名まで残している。昭和5年には約一万人の日本人移民がいたが、内7割が沖縄県人であった。
「戦争が無ければ、ずーとそこに住んでいたと思うよ、それほどいい所だった。気候も食べ物(果物)も」と多くの人は語っている。
(参考:金武町誌)