沖縄の日常

日々変わり行く沖縄と自然とつれづれなるままに

今になってわかる

2010年12月06日 | 日々のこと
        父が亡くなった祖父の年齢を超えた時、どんな気持ちなんだろう?自分の父親より自分の方が年上になるのって?と昔思った事があった。  しかし、私は亡き夫の年齢を超えた時、別に何と言うこともなかった。  私が彼を思い出す時、彼はいつも私より年上である。  そうだよね、生きている私と彼が対面することはないのだから。  そういう意味ではよかった?!    将来しわくちゃな私と若い彼が対面することになったら、笑われるよ、ね。    な~んて、ひまな私は何を考えてるのだか  

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更年期

2010年12月06日 | 日々のこと
 この所、夕方から夜になるとぐっと気温が下がって寒い。寒いので布団に入るが、夜中に背中が急に熱くなって目が覚める。そして布団を除ける事がよくある。それでもしばらくすると、冷えてくるので、また布団を引き寄せるということになる。

  更年期にはこういう事があると聞いているのと居ないのとでは全然ちがう。知らないと不安だろうなと思う。
 寒いのか暑いのかわからない。目がさめる。いわゆる更年期のホットフラッシュなのだ。

 私が友人や周囲の人に話すと、似たような更年期の症状の人が結構いのである。中には私よりひどくて、夜中に何回も起きると言う人も。3時間くらいしか寝られず目が覚めてしまうという人もいる。

 そんなこんな事を耳にすると、私もその中のひとりなのだと、深刻にならずに済むから、なんでも話せる友人や姉妹のいることに感謝している。

 子育てを終えて、あ~これからは少しゆとりができると思っている所へ、女性の更年期障害というものがやってくる。神様は不公平ですねと掛かり付けの医者に言ったことがある。医者は言った、

「沖縄のおばー達は、あんなに辛い戦火を体験したのに、それを乗り越えてきたのは、することが沢山あったからだ、あなたは、子どもの手が離れて、少しゆとりができたせいもある。だから、何か夢中に慣れるものを見つけなさい」と。

 あの辛い「不安症」のようなものを乗り越えられたのは先生の的確なアドバイスがあったから。七年前の事。

 沖縄のおばー達は私の大先輩。彼女たちを見習いたいと思っている。

 あの悲惨な戦争もくぐりぬけて、更年期も知らず働き続けた。
 戦火の中から生き残った命を大切に思い、「命ど宝」「生きているだけで幸せ」と、笑みを浮かべている。

 (写真は月桃。今日金武町ではムーチーの日。この日に寒波が来るとされているが・・明日はグッと冷え込むらしい)

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いつか見に行きたい

2010年12月03日 | 日々のこと
 憧れの木のひとつに「リンゴの木」がある。

 色づいたりんごが生っている木を見てみたい。いつか。
 青森まで東北新幹線が開通した。東京まで飛行機で行って、東北新幹線に乗っていつか行って見よう。

 りんごの木が見られるのに最適なのは何時頃が良いのだろうか?

  小さい頃、よく親戚の店番をしていた。その頃のリンゴは木箱で、中にもみ殻、それをかき分けるとりんごが入っていた。
 遠い遠い国からはるばるやってきたという感じがした。 
  寒い北国ってどんな所なんだろうかと思いを馳せもみ殻をかき分けた。

 リンゴの国に行ってみたいとあの頃から思っていた。一度北海道旅行の際に、函館から札幌へ向かう道中で遠くから見たことはある。その時降りて近寄って見たかったが、ツアーなのでそれは叶わなかった。それが何と言う地名だったのか思い出せない。

  東北新幹線ができて「リンゴの木が見たい」という私の夢が叶いそう。



  (写真は南国の木:ガジュマルを描いた)

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勘違い?

2010年12月02日 | 日々のこと
 洗濯ものを干しながら、なぜか昔のある事を思い出してしまった。

 それは、当時住んでいた成増の駅前商店街での事。ある若い女の子が「アンケートお願いします」というので、急いでないし、いいかなと応じた時のこと。
 女の子が
「練り物っていったら、何を思い浮かべますか?」
と聞いてきた。
 私は、う~~ん、練り物?練り物?ぜんぜん思い浮かばず・・・考えに考えたすえ、出た答えが

「歯磨き!?」

と答えたのだった。

 女の子は可笑しそうに笑い出したので、えっ?どうしてと、私。
「実はハンペンのコマーシャルなんですけど・・」と彼女が。

 私も自分の答えた「歯磨き」が可笑しくて、二人で笑いあった。歯磨きと答えたのは私が初めてだったそう。一生懸命考えたんだけど。
 
 ハンペンは確かに「練り物」かも知れないが私の辞書にはなかった。ハンペンは東京に出てきて初めて口にした食べ物だった。


 夜のベランダで、そんなことがどうして思い出されたのか、そのきっかっけは思い出せないが。思い出して可笑しくって楽しい気持ちになった
西風が吹いているので、雨が降るかも知れないなと思いつつ。

 (写真のらんの花、風にそよいでいるみたい、偶然に撮れたものだが、良いショットだ、気にいった)

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残したい金武町の風景

2010年12月02日 | 町の風景
 先日、中央公民館で役場企画課主催で「残したい金武町の風景」の写真の部・絵画の部の入賞者の表彰と、作品展示があった。

 この企画によって、町の何気ない風景がクローズアップされた。好きな場所は人それぞれあるのかも知れないが、大方は一致しているようだ。しかし、「残したい風景」という目で、町を改めて見つめた事によって、思ってもみなかった場所が撮影されて「なるほど」と思われる場所もあったりして感心した。

 100年後、これらの写真は、貴重な財産となるに違いない。


 (写真は鍾乳洞の上「上の毛」ウィヌモーからみた、風景:金武小学校が映える)

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今日から師走

2010年12月01日 | 日々のこと
 今、仕事を終え帰ってきたばかり。
 忙しくて、走りまわっていた、師走とは、よく言ったものだ。

 職場から出たら、外は雨。道理でみんななんか暑いねと言って上着を脱いでいた。

 職場の庭には、狂い咲きしたサツキが満開とはいかないが、ずーっと咲き続けている。

 2010年 季節が大きく変化した年かも知れない。

 

 写真は、国道329号で、ここに「金武レストラン」その前は「浜田ドライブイン」のあった場所。昔は金武で唯一のレストランだった。今はそのドライブインが壊されなくなってしまった。なんだか寂しかった。一つの時代が終わった感がした。
 このレストランは「フーテンの寅さん」の「ハイビスカス編」に出ていた。

 今、バイパスの工事が進められている。思えば、金武の町から他所へ行くのはこの道しかない。ドライブインが撤去され、ここから見える景色の素晴らしさったらこの上ない。立ち止まって眺めていたい景色だ。海へダイブしそうな、まさにすぐそこは「海」

 どんな風に変わっていくのでしょうか?字金武の入り口。
 

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