11月10日 京都府福知山市字内記内記 紅葉の福知山城。 天正7年(1579)、丹波を平定した明智光秀が築城。 福知山城は、明治のはじめに取り壊され石垣と銅門番所だけが残っていました。 昭和61年に市民の瓦1枚運動などの熱意によって三層四階の天守閣が復元されています。 内部は郷土資料館として公開され、望楼からの眺望も素晴らしいです。
天守閣の石垣は「野面積み」「乱石積み」などと呼ばれ、五輪塔や宝篋印塔など500個余りの転用石が使用されています。
豊磐の井(とよいわのい)
(左)福知山城銅門番所(あかがねもんばんしょ)銅門の脇にあった番所で当時の城内の面影が忍ばせる建築物です。 (右)福知山城石垣の転用石。