それでは、連載第42夜は、平成18年早春、寝台特急「出雲」乗車記、後半戦です。
午前2時のの京都の儀式は飛ばし、目覚めると既に鳥取。牽引機はPFから、DD51 1186「後」に変わっています(写真)。当時は、こんな位置でも撮れました。
側面の、方向幕(写真)。終点が浜田の頃に、きちんと記録をしておくべきでした。
米子で、バカ停。その間に、緩急車オハネフ25まで行き、撮影した、テールサイン(写真)。確かに、薄くなっています。
牽引機DD51 1186の、松江での一枚(写真)。スルーします。
そして、終着駅出雲市にて(写真)。足回りまで写っています。
そして列車は乗客を降ろし、出雲電車区(現在の後藤総合車両所出雲支所)に回送されます(写真)。やはり最後は切妻のオハネフ25 100番代、帯色が金色なのは「北斗星」と共通運用だったからです。
同日夕方、東京行きとして据え付けられた、DD51 1186以下寝台特急「出雲」(写真)。発車時刻を待っています。
末尾は、カニ24 112(写真)。こちらのテールサインは、クッキリしています。
そして出発時刻に、寝台特急「出雲」は、東京に向け発車しました。
おまけ。285系「サンライズ出雲」です(写真)。電車寝台特急、JR西日本3編成、JR東海(3000番代)2編成の計5編成が、「サンライズ出雲」「サンライズ瀬戸」の運用をこなし、多客期には広島、松山等にも顔を出します。
「出雲」ネタは、この後の撮影行動に大きな影響を与えるものでした。それが、どうなっていったかは、今後の展開にご期待下さい。
それでは、次回をお楽しみに。
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