名古屋で就職し、何年か経ってから、名鉄三河線沿線で勤務することとなった。通勤電車の中で、一際古く、しかし立派な内装の電車があった。それが5500系だった。名鉄の本格SR車5000系、5200系の後を受け、昭和34年に日本初の大衆冷房車としてデビューした形式である。冷房化率向上のため5000系、5200系の足回りを利用して5300系が出来てからは、名鉄最古の形式となっていた。
それが東海豪雨が原因で水没し修理不能となり、遂に廃車が発生した。2ドア転換クロスという内装は重厚だが、車内も傷みアコモも古く感じられたらしく、活躍の場が狭まっていった。4連が全廃となった時、2連3編成がリバイバル塗装に復元され、ファンの話題となっていた。
そんな最中、5500系を使用した一般向けツアーが募集され、催行された。豊明から蒲郡へ行き、吉良吉田で長時間停車。三河線海線廃止区間用だったホーム、吉良吉田1番ホームに据え付けられ、撮影会が行われた。その時の写真である。5500系を十分に堪能するツアーであった。言い方を変えれば、5500系とのお別れ会でもあった。
そして、5500系は最後の運用まで、黙々とこなしていった。
いよいよ引退、という時期に、犬山線に乗っていた。布袋を過ぎる時に、「あっ!」と思った。最後の3編成が、疎開留置されているではないか!直ちに後戻りし、布袋で下車した。デビュー当初の塗装、チョコレートにピンクの塗装である。
枇杷島方から犬山方に向け、番号順に並んでいる。一番南の5513、5514がストローイエローに赤帯の2代目の塗装、中間の5515、5516がスカーレットに白帯の、3代目の塗色(特急塗色)になっている。
駅から出て、一番南側に行った。つい半年前の在りし日が、思い出された。いよいよ、お別れなのだ、と改めて思った。
名鉄史上最高の名車、パノラマカー7000系は、車体は斬新だが運用では在来車との併結を考え、5000系から5500系までで実績のある足回りをそのまま採用した。つまり、5500系は、名車7000系の礎であったのだ。
現在では、チョコレートの塗装の前頭部が、舞木検車場に残るのみという。保存ばかり言っていても仕方ないが、私のみならず名鉄にとっても最高のお気に入りが、完全な姿で残らないのは少し残念である。
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