一山
今月二日のことである。職場で私は出雲市出身の俳人原石鼎にちなんだ「俳句大会・俳画展」の作品募集のパンフレットを見ていて、石鼎の代表作の一句をふと思い出した。
蔓踏んで一山の露動きけり
「一山!」。私は思わず呟いた。そして、その言葉に関わるある出来事を思い出し、動揺しだしたのである。
二十日くらい前に、職場に信州から不思議な人物が訪れた。画家、文士と名乗る初老の男性であった。事務室に通すと、お茶を一杯すすり、茶菓子を美味そうに食べた。そして、やおら、「紙と筆記用具を準備してください」と言った。私は言われるまま筆ペンと三色のソフトペンとA4の用紙を差し出した。「おっしゃるものを何でも描きます」とその人は言った。
「信州なんですから、山を描いてください」と私は頼んだ。すると、その人は、用紙に筆で「一山」と書いた。私は不満に思い、「実際の山をお願いします」とまた頼んだ。「そうですか。では……」と言い、今度は一筆書きの山と鳥を描いた。私はまだ不満だった。画家としての才能を疑っていた。だから、「今度は色を使って、この机の上の蝋梅(ろうばい)を描いてください」と重ねて頼んだ。すると、「そりゃ面白い」と言って、暫らく思案していたが、ペンを執ると、こすりつけるように動かして、黄色い蕾をことさら大きく描いた抽象的な構図の鮮やかな絵を仕上げた。私はやっとその人の腕を信用した。
職場を去っていくその人の後ろ姿を見送っていて、私はその自由な生き方に憧れた……。
「こりゃ大変だ!」と私は言いながらパンフレットを机に置くと、「一山」の文字と一筆書きの山の絵をもう一度出して見直したのである。何と、石鼎の句の大胆な発想と相通じるものが感じられるではないか!
……不明なり。私はその放浪の芸術家の持つ世界の奥行きを感じ取る力に欠けていた。
(2006年投稿)
今月二日のことである。職場で私は出雲市出身の俳人原石鼎にちなんだ「俳句大会・俳画展」の作品募集のパンフレットを見ていて、石鼎の代表作の一句をふと思い出した。
蔓踏んで一山の露動きけり
「一山!」。私は思わず呟いた。そして、その言葉に関わるある出来事を思い出し、動揺しだしたのである。
二十日くらい前に、職場に信州から不思議な人物が訪れた。画家、文士と名乗る初老の男性であった。事務室に通すと、お茶を一杯すすり、茶菓子を美味そうに食べた。そして、やおら、「紙と筆記用具を準備してください」と言った。私は言われるまま筆ペンと三色のソフトペンとA4の用紙を差し出した。「おっしゃるものを何でも描きます」とその人は言った。
「信州なんですから、山を描いてください」と私は頼んだ。すると、その人は、用紙に筆で「一山」と書いた。私は不満に思い、「実際の山をお願いします」とまた頼んだ。「そうですか。では……」と言い、今度は一筆書きの山と鳥を描いた。私はまだ不満だった。画家としての才能を疑っていた。だから、「今度は色を使って、この机の上の蝋梅(ろうばい)を描いてください」と重ねて頼んだ。すると、「そりゃ面白い」と言って、暫らく思案していたが、ペンを執ると、こすりつけるように動かして、黄色い蕾をことさら大きく描いた抽象的な構図の鮮やかな絵を仕上げた。私はやっとその人の腕を信用した。
職場を去っていくその人の後ろ姿を見送っていて、私はその自由な生き方に憧れた……。
「こりゃ大変だ!」と私は言いながらパンフレットを机に置くと、「一山」の文字と一筆書きの山の絵をもう一度出して見直したのである。何と、石鼎の句の大胆な発想と相通じるものが感じられるではないか!
……不明なり。私はその放浪の芸術家の持つ世界の奥行きを感じ取る力に欠けていた。
(2006年投稿)