80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

3月のある一日

2015年03月19日 19時19分46秒 | 考える
広々とした空間が、気持ちをスッキリと整理してくれる効果がある。           
               弘兼憲史の「大人の作法」心得帖より


3月18日(水)
「世田谷美術館」→ ゴジラ展 (行ってみたい!! アンチヒーロー 私の代役)
ゴジラ→破壊王→人生破壊→再建→それから?

寒い、身体も、心も・・・。
今日は仏滅らしい。
気づいてどうなる、書いてどうなるというわけではないが、どういう形をとっても、何か嫌な感じがする。
まぁ、すぐに忘れてしまうのだが、何故かしっくりしない、落ち着かない。
本人が未完成だからなのかもしれない。

人はそれぞれに、「好み」が違う。
わかりきったことなのだが、ちょっとした「好み」で自分の世界を狭めてしまうのはいかがなものか。
世界は広く、人間はその一部、一点でしかない。

「浪人街」DVDを観る。

人と人との関わり(無関係という関係を含めて)、生きる目的を考える。
長かった無為の人生・・・。
自分の生き様を求めて、そして死に場所を求めてもがく。
私自身、そうありたいと願っているのかもしれない。
かっこよく生きてこれなかった分、せめて死ぬ時ぐらいはかっこよく死んでいきたい。
本当にそう思う。
でも、やはり、そううまくはいかないだろうなと思う自分がいる。

これからも、同じ繰り返しなのだろう。

身体に切れがない。
どうしても、左胸をかばってしまう。
骨折全治2ヶ月。
今更どうのこうの言っても、どうなるものでもない。
原因は、足の動きと体重移動がちぐはぐになり、もつれたというだけのことだ。

他人から見たら、ただの惚け老人。
本人から見てもそうなのだから。

春の朝 行く当てもなく 家を出る

そう、昼日中、男が一人、家でDVDというのも、どんなものか?
と言って、何をするという目的もないのでは、大した違いはない。

まぁ、杖の必要がないというのは、不幸中の幸い。
幸運と言ってもいい。
が、言い換えれば、要注意ということだ。
私もそろそろ年貢の納め時。
保って、あと60年がいいところだろう。

あれやれ、これやれと言われない年だ。
以降、好きなことを、そろりそろりとやっていけば良いということだろうか・・・などと。

問題は「好きなことが何か」という点だ。
夢中になれるものが欲しい。
集中できるもの。

バスに乗る。
私の前、空席。
私の横、空席。
私の後ろは見えない。
車内はけっこう混雑している。
こちら(奥)に来れば座れるのにと思いつつ、知らぬ顔を決め込む。

私の現在の「立ち位置」そのものだ。

バスの振動・・・。

また、少し胸が痛み出した。
周囲を見まわす。
この時間、すでに昼近いが、若い女性も結構乗っている。
3月、すでに春とはいえ、吹きさらしのバス停は、まだ風が冷たい。

どうやらこの胸の痛みは、「今年の初恋」ではなさそうだ。