80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

まだ、生きる

2016年04月17日 09時36分08秒 | 考える
聖書は来世の希望と恐怖とを背景として読まなければ了解らない。
「聖書の読方」 内村鑑三 より


何もせずに、何も残さずに、誰ひとりとして己を知る人も無く、ひっそりと
この世を去る。 

確かに文章として読むかぎり、格好良い生き方、いや死に方だと言えなくもない。

それに、良い悪いという問題ではなく、多分、ほとんどの人びとが、そういった
死に方をしているのではないだろうか。

生まれてこの方、何もせずに、何も残さずに、いや、言い直そう、
生まれてこの方、何も出来ずに、何も残せず、ひょっとすると、
誰ひとり、自分を知る人のない見知らぬ所で、死を迎えた人だって
ちょっとやそっとの数でなくあったはずだ。

例えば戦争、例えば思わぬ転勤、転宅、未知の土地での突然死・・・。

彼らは一体何を思って死を迎えたのだろうか?
人は多分、誰もが、なにがしかの目的を持って、ずっと生きてきたはずだ。
結果、自分の一生が、何かに、誰かに影響しえただろうか?

無意味、無残な死。
アルバムのない人生。
悲しむ人の無い死。
何一つ、足跡さえも残せずに70余年の人生を終える。

どうせ死んだら、私自身には、過去も、未来も、現在も、何も残らない。

そう思う一方で、内側に、何か納得しないものがある。 
・・・恐怖 !! 

出来得れば、そんなみじめな死に方はしたくないというのが本音か。 


日本人の平均寿命をネットで調べてみた。
2014年現在、男性 80.50歳
       女性 86.83歳 (女性は3年連続世界一だとか。)

と、いうことは、私の場合、あと10年は生きる、そういう計算になる。

これは、他人がどうのではなく、自分自身の問題として真剣に考えるべきことだ。
さらに70歳まで生きた者の平均余命は、
男性、15.49年、女性、19.81年だとか・・・。

こちらの計算では、私はあと15年半を生きるだろうということになる。 


「本当の信仰は、ある絶対的な経験による回心によってしか
 得られないものだと思っている。」 (八木義徳)


その通りだと思う。 
が、私には、正直、まだそこまでの経験・体験がない。

しかし、言い方を変えれば、今後10年簡、選択自由の時間を得たということ。
失敗はあるかもしれないが、同率で成功する可能性もある。

一度、二度、三度、試してみる価値は、充分にあるというものだ。
その内、一度でも、成功、それも大成功なら、それこそ、もうけものだ。
・・・などと。


10年と言ったら、結構長い。
その間、ひょっとして、そんなことがあっても、特に問題はないよな。


2016年4月17日(日) 午前中、 曇り、風荒れ狂う。 そして雨。