80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

無駄な人生

2016年05月16日 20時44分59秒 | 考える
やること為すこと、総てに結果が出ていないような気がしている。

出来っこないと、自分から、人生に遠慮しているのかも知れない。
基礎が無いのは確かだ。
それ以上に、自分に自信が全くない。

考えてみれば、一体、結果なんぞが、本当に必要なのか?


皆が皆、自慢話をする。
私には、人に話せる過去が無い。
いや、過去が無いというのは間違い。
他人に誇れる過去がないという意味だ。

身を清める。

何も見えない、何も聞こえない。
手ざくりで、うろついているばかり。


バスの中で、立派なカメラを持ったお年寄りに隣り合わせとなった。

「素敵なカメラですね。 私も写真は撮りたいと思っているのですが、
撮る写真、撮る写真、手ぶれがひどくて、まるで使いものになりません。」

「三脚を使うといいですよ。 そう、一本脚のものでも、案外役に立ちます。
充分、手ブレの補正にはなります。」

たまたま隣り合わせた大先輩。

もう少し話をお聞きしたかったが、途中でバスを降りられた。


残念!!
頭に入れておこう。
そう、拡げる手間を考えたら、一本脚の方が役に立つかも知れない。


私は、本当に影が薄いと思う。
と言うより、そもそも影が無いのかも知れない。
人の、男の影とは実績に伴って濃くなってくるらしい。

晴れた日曜、一日、日長、ベンチを温めて、ただ目の前を眺めている。
老後ならぬ「老中」の生き方が分からない。

「ご老中、今後、いかが為される? 一言、お言葉を・・・。」
などと、戯れ言を言っている場合ではない。


共に生きていくパートナーがないというのは、何とも寂しいものだ。

大昔、まだ若かった頃、恐れ気もなく、彼女を映画に誘ったことがある。
結局、返事の無いまま、無視されてしまった。
ダメならダメと、ひとこと言っていてくれたら・・・、と、今でも思う。

未練だ。
あれから私は人との関わり (殊に、女性との・・・) に臆病になってしまったのかも知れない
・・・などと。
今の私、人と関わりを持つ以前に、その後の失敗を極度に怖れて、なかなか踏み切れない。


何の当てもなく、目的も無いまま、
ひょっとしたら、誰か、相手の方から、私を見つけて、声をかけてくれないかななどと、
虫のいいことを考え、半分居眠りをしながら、駅裏の広場のベンチに腰を掛けている。

隣に腰掛けた若い男性が、愛妻弁当だろうか、三段の弁当箱を拡げて食べ始める。
うらやましい。
とてもうまそうに食べている。


そうか、出会いは、うまい飯につながるのだ。

ところで、今夜は菓子パンにしようか・・・?
朝食ならいざ知らず、夕食がパンでは、ちとまずいかも知れないな、などと思いつつ、
横目でチラチラと・・・。

雑考 (1)

2016年05月16日 07時36分00秒 | 考える
ただ思う事を、とりとめもなく書き連ねる。
アラだらけ、と言うかアラしかない私の思い、そして行為。

料理は、どうやら私には向かないらしい。
小手先で、味付けして、いざ食うときに失敗に気付く。
そのツケは、私自身が顔をしかめつつ食うことになる。

高校の修学旅行で買ってきた「弥勒菩薩」の飾り面が
高いところから、黙って見下ろしている。


老後の生き方が、よく分からなくなってしまっている。
自分の居場所が見えない。
何かやりたいのだが、どれもこれも失敗しそうで踏み出せない。
気持ちばかりが先走りして、身体がついていかない。
結果、選り好みして無反応。

周囲の人々、皆が皆、それぞれに自分の行動を、誇りをもって語る。
私はうつむいて聴いているばかりだ。
いつか、私も誇りをもって語ることの出来る何かを為しうるだろうか?

何度も引用したお気に入りの詩の一節。
「君過ぎし日に何をか為せし
 君今ここにただ嘆く
 語れや君 そも若き折 何をか為せし」 ベルレーヌ



何事も自然に・・・。
どうあがいても、どうもがいても、結局は成るようにしかならない。
が、どう成るのか、私には分かりようがない。
それが道理というものなのかも知れない。

体調不安定。
・・・心身ともに不安。
天候不順・・・曇り空。
が、まぁ、明日は、また晴れるに違いない。

人はやろうと思ったときに、何としてもやってしまわねば、
多分、二度と同様のチャンスは訪れない。


独り、タバコを吸って、咳をしつつも、大人の気分。
我ながら、まだまだ子供だと思う。
もそっと、大人にならねばと思う。