80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

ウィスキーと共に

2017年03月04日 19時05分56秒 | 考える
春近し。

今、自分自身、気持ちが高揚していると思う。
現在、私は無性にどこまでも駆けていきたい気分だ。
これは、おそらく、酒のせいなのだろう。 

他人を、誰一人、喜ばす術を知らない自分の無能さが歯がゆい。
何をやっていても、常に無意味感がつきまとう。


「まずは、自分のために生きる事だ」 と、人は言う。

それが基本。

自分が満足していないのに、他人のためになぞとはおこがましい。
それこそ驕りでしかないと。


・・・そうなのかなぁ・・・?? 

酒を飲む、酔いを求める、その目的は、一体何だろうか? 

現実逃避・・・。

いつまでたっても、自立できない、その目処すら見えてこない、
未熟な、そんな自分に、嫌気がさしてくる。

兄は、そして母は、私に何を求めているのか?
どう生きていけというのか。

目的、目標を設定するのは、あくまで「お前自身」の成すべきことだ。
私が「他人のためと称して」やろうとしてきた事は、総てが
無意味だった気がする。
 (やってきたではなく、あくまでやろうとしてきたことでしかない。)
それは、現在、自分自身の自己満足にすらなってはいない。


ふと、部屋を見回す。
弟と、チョッピリ私の読んだ、読みかけている文庫本が、山のように  
折り重なっている。
見ていると、私も、何か、オリジナルなものを書いて、世に問いたい。
考えてみれば、今の今まで、ずうっとそう思い続けてきたのではなかったか。
しかし、現実・現状は、「思い」から、遠くおいていかれた状態だ。

が、物語でも何でも、ただ書けば終わりというものではない。
何かを書けたとしても、書店に並べてもらう。
これだけ大量の書籍の一角に、1冊の本を潜り込ませるのは、並大抵の事ではない。

さらには、その書籍を手にとって、読んでもらおうなどとは、夢の中の夢の
ように、大変な事なんだと、今、気がついた。 (・・・いまさら・・・!!)

他人はどうあれ、自分として、出来得る限り、今、最高を楽しんで生きるべきだ。
それが、自分の人生と言うべきだろう。


つねに、最高を求めつつ生き、結果、他人を気遣うのは二の次で良い。
とは言え、よくよく考えてみれば、「自分の最高」とは何だろうか?
そこからして、悩むところだ。

人は、独りで生き、独りで死んでいく。 

親兄弟、親友、仲間と言えども、共に、一緒には死んではくれない。

分かり合える友を求めて、人生を彷徨いあるく。
人生のジプシーの如くに。


70歳にして未だ夢を追う。
いつまでも、・・・そして、いつかは・・・。


ウィスキーを懐に、夢を求めて旅をする。 

まずは自立・・・、自分の周辺をを片付ける。
しかし、間違っても、自分自身を片付けてしまわぬようにせねばなるまい。
 

後のことは、それからゆっくりと考えよう。
とは言うものの、この先、あまり時間は無さそうな気もするが。