80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

瑣事の積み重ね

2015年09月08日 21時04分32秒 | 考える
2015年9月7日(月)
霧雨。 昼、気がつけば雨は上がっている。
・・・・・・
2015年9月8日(火)
現在、音も立てずに、雨・・・。 
窓の外、しずくがポタポタと落ちていくので、それと知れる。

その向こうは・・・、
よくよく目をこらさないと雨が降っているかどうか、判然としない。

細かい雨だ。
  (単に目が悪くなっただけの話かも・・・。)
何も気にすることはない。 (↓↑ 両方に掛かる)
人、それぞれの生き方、そして意思表示の仕方がある。

今日の雨のように、自分自身のことが、はっきり見えない・・・。
「・・・だから、他人を通して自分を省みる。」 

う~ん、なるほど、そんな考え方もあるか !  


今、他人と付き合うのが、何となく不安だ。 (・・・面倒・・・?)
そのくせ、誰も寄ってこないと言って、寂しがる。


他人を避けつつ、人を恋しがる。

私は、矛盾の塊だ。


ずっと他人に生かされてきた。
その想いから抜け出せない。


自分の稼ぎ以上に、いつも、「他人から施されてきた」という想い。

69年間生きてきて、私は、未だに何も完成していない。

そんな惨めさが、いつもつきまとっている。


だったら、今から、今すぐにやれ !!

皆が、そう言う。 そう教えてくれる。
確かにその通りだ。

しかし、人には、どうにもならないものもある。
過ぎ去った日々。
・・・と、逆戻り。

今からやれること。
・・・・??


人生というやつは、瑣事の積み重ねのようなものだ。
    みみずくの夜メール -五木寛之-
 


そうか、私はもっと私自身でなければいけない。
もしかすると、仲間の生き方に惹かれ始めているのかも知れない。

私は、今、何をすべきか?
それは、他人の存在に関わりなく、自分の生き方を追い求めるべきだ。

無論、仲間の存在は無視できない。
だが、あくまでも「私自身」を中心に置いておかねばならない。

でなければ、いずれは、両者共倒れになってしまう。

いや、倒れ込むのは、多分、私だけだろう。 


人生には引け際があるという。

年齢的には、そろそろかな・・・と、思わぬでもない。
と言って、「私自身」を引く気は、さらさらない。
「私自身」は「これからだ」と考えている。


瑣事を、引っ掻きだし、こねくり回しながら、
こそこそこそ、てれてれてれと、生きていければいいと思う。


「ふんふん、そうそう うまい具合にいけばねぇ・・・」  
耳元で誰かがささやいている。

コメントを投稿