「50年間、そして先日(同窓会)でも、出逢いそこねた旧友に」
いやはや、本当に、人生という奴は矛盾だらけですね。
やぁやぁ、お久し振りです。
・・・なんてね、・・・本当は、君に会いたかったんだ。
自分はひとりぼっち、他人のことなんか、いちいち気にしている
暇なんぞありません。
などと言ってはみても、結局、最後は他人の意見を当てにしている
自分を発見しています。
結局、どういうことなのでしょうかねぇ。
私は、一体、何がやりたかったのか?
これから、どう生きていったらいいのでしょう?
どう生きるにせよ、他人との深い(?)関わりの中で、その実現性はあ
るのでしょうか?
君は人生を充分に生きて来ましたか?
今、満足して生きていますか?
再就職・・・問題は「夜」と「孤独」に対する私の恐怖心。
就職は期待に過ぎない・・・などと、決まる前から、予防線を張る。
いやはや、何とも情けない話です。
人それぞれ、十人十色、好き嫌い、得手不得手、いろいろあって当然。
いつまでも悩むことはないと思っています。
決まるにせよ、決まらないにせよ、いつまでも悩むことではありません。
自己流で対応すればいい。
その結果が、今後の私の人生に、決定的な結果をもたらすというもので
もないでしょう。
んっ ・・・本当にそうだろうか?
まぁ、それはともかく、現時点を中心に、大切に、物事を考えていく。
いずれにしても、一つの大事な思い出 (人生の過程) です。
今の私、一体、何が欲しくて生きているのでしょうか?
常に、人生の仕上がりを想定して作業しているつもりです。
団地で、職人さんが、樹木の剪定をやっていました。
人生もまた同じようなものじゃないでしょうか。
余計なものは、どんどん切り落としていく。
ふと、そんなことを考えました。
今、何がやれるかではなく、ともかくやってみる。
大体、私は、もう仕事を選べる年代ではありません。
格好良く言えば、チャレンジ精神を目の前に押し出して残りの人生を
生き抜いていく。
今まで、こんな体で、何とかやってきました。
これからだって、やれないことはないでしょう。
やれるか、やれないかではなく、やるかどうかなのです。
自然体で・・・。
気になることは、体全体で、気にする。
無理矢理、気にしないふりをすることもないでしょう。
忘れたら忘れたで・・・いや、それはちょっと・・・、
人と人との間で生きていく以上、忘れる・・・、
やはり、それは少々まずいかも知れませんね。
無理矢理、朝飯、夕飯と、両方、喰わねばならぬ事もない。
人は、自分に託された仕事をしっかりと、懸命にやればいいと思います。
自由とは、本当に不自由なものです。
便利もまた、よくよく考えてみれば、実に不便なものです。
金が充分にあれば、総て「問題解決」となるのでしょうか?
残念なことに、充分だと思えるほどの金を持ったことがないので、
確かめようがありません。
しかし、それはともかく、どこにいても暑い時は暑い。
これこそ、何とかならないものでしょうか!!
いつまでも、俺 (S) である必要などないのではないでしょうか。
「風来仙人」であり、「風来居士」であって一向にかまわないのでは・・・。
それにしても、重ねて言いますが、本当に暑いです !!
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さすがの風来居士も、風がなければ手も足も出ません。
金無くて、身動き取れぬ70代。
男同士、妻と死別したものと、未婚、女性と生活体験のない者とでは
話の合うはずもありません。
・・・にしても、隣の女性同士、よくまぁ、話すことが尽きないものです。
感心してしまいます。
まぁ、それはそれで、いいでしょう。
所詮は 「人生とは、結局独りで、人間として生きていくこと」 なのです。
まっ、「私の人生は・・・」と、但し書きを付け加えて。
いやはや、本当に、人生という奴は矛盾だらけですね。
やぁやぁ、お久し振りです。
・・・なんてね、・・・本当は、君に会いたかったんだ。
自分はひとりぼっち、他人のことなんか、いちいち気にしている
暇なんぞありません。
などと言ってはみても、結局、最後は他人の意見を当てにしている
自分を発見しています。
結局、どういうことなのでしょうかねぇ。
私は、一体、何がやりたかったのか?
これから、どう生きていったらいいのでしょう?
どう生きるにせよ、他人との深い(?)関わりの中で、その実現性はあ
るのでしょうか?
君は人生を充分に生きて来ましたか?
今、満足して生きていますか?
再就職・・・問題は「夜」と「孤独」に対する私の恐怖心。
就職は期待に過ぎない・・・などと、決まる前から、予防線を張る。
いやはや、何とも情けない話です。
人それぞれ、十人十色、好き嫌い、得手不得手、いろいろあって当然。
いつまでも悩むことはないと思っています。
決まるにせよ、決まらないにせよ、いつまでも悩むことではありません。
自己流で対応すればいい。
その結果が、今後の私の人生に、決定的な結果をもたらすというもので
もないでしょう。
んっ ・・・本当にそうだろうか?

まぁ、それはともかく、現時点を中心に、大切に、物事を考えていく。
いずれにしても、一つの大事な思い出 (人生の過程) です。
今の私、一体、何が欲しくて生きているのでしょうか?
常に、人生の仕上がりを想定して作業しているつもりです。
団地で、職人さんが、樹木の剪定をやっていました。
人生もまた同じようなものじゃないでしょうか。
余計なものは、どんどん切り落としていく。
ふと、そんなことを考えました。

今、何がやれるかではなく、ともかくやってみる。
大体、私は、もう仕事を選べる年代ではありません。
格好良く言えば、チャレンジ精神を目の前に押し出して残りの人生を
生き抜いていく。
今まで、こんな体で、何とかやってきました。
これからだって、やれないことはないでしょう。
やれるか、やれないかではなく、やるかどうかなのです。
自然体で・・・。
気になることは、体全体で、気にする。
無理矢理、気にしないふりをすることもないでしょう。

忘れたら忘れたで・・・いや、それはちょっと・・・、
人と人との間で生きていく以上、忘れる・・・、
やはり、それは少々まずいかも知れませんね。
無理矢理、朝飯、夕飯と、両方、喰わねばならぬ事もない。
人は、自分に託された仕事をしっかりと、懸命にやればいいと思います。
自由とは、本当に不自由なものです。
便利もまた、よくよく考えてみれば、実に不便なものです。
金が充分にあれば、総て「問題解決」となるのでしょうか?
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残念なことに、充分だと思えるほどの金を持ったことがないので、
確かめようがありません。
しかし、それはともかく、どこにいても暑い時は暑い。
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これこそ、何とかならないものでしょうか!!
いつまでも、俺 (S) である必要などないのではないでしょうか。
「風来仙人」であり、「風来居士」であって一向にかまわないのでは・・・。
それにしても、重ねて言いますが、本当に暑いです !!

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さすがの風来居士も、風がなければ手も足も出ません。
金無くて、身動き取れぬ70代。
男同士、妻と死別したものと、未婚、女性と生活体験のない者とでは
話の合うはずもありません。
・・・にしても、隣の女性同士、よくまぁ、話すことが尽きないものです。
感心してしまいます。
まぁ、それはそれで、いいでしょう。
所詮は 「人生とは、結局独りで、人間として生きていくこと」 なのです。
まっ、「私の人生は・・・」と、但し書きを付け加えて。
テーマですね。
そのうち一部分だけのコメに
なりますが。
「君は人生を充分生きてきましたか」
というところですが。
過去形になっているところに少し
疑問があります。人生まだまだ
これからですよ。
「終わりよければすべてよし」とも
言いますから。
「金なくて身動きとれぬ七十代」
というところ。これには共感できますが
一方で反論もしたくなります。
長くなるのでこの辺で失礼します。
いつも、コメント、ありがとうございます。
なるほど、よくよく考えてみれば、おっしゃ
るとおりですね。
では、ちょっと、付け加えます。
「私はこれまでの人生を
充分に生きてきたのだろうか?」 と。
さらに
「金あれば、思いのままに七十代。
とは言え、人生、金では買えぬもの」などと。
本当に参考になります。
などとコロッと意見を変えるのも、
風来居士の「風来」たるところです。
恰好つけただけでは、生きてはいけませんから。
まぁ、斜に構えて、「逃げ」を打つ。
重ねて、ありがとうございました。
いえいえ。とんでもありません。
なるほど。ですね。
付け加えていただいて
より一層真実味と重みが
増してきましたよ。
両者ともです。
かってなことを申して大変
失礼いたしました。
これからも、いろいろとあると思いますが、
ご意見は、大きな励みとなりますので、
どうかよろしくお願いします。