80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

風来居士の人生迂路迂路日記  (友引)

2015年09月25日 17時26分24秒 | 日記
風来居士の人生迂路迂路日記
(迂路・・・遠回りの道、回り道。)

友引


そうだよなぁ、私は、確かにもう70歳に手が届こうという年だ。

だからって、何もせず、ただ一人部屋に引っ込んで
ウジウジしていなきゃならんということなどない。

また、そんなことを言いそうな相方もいない。

その意味で、一人暮らしとは、身軽で、面倒が無くていい。


まぁ、逆を言えば、あまりに静かすぎて、張り合いがないとも言える。



20才の頃作った 「方向指示器」 が、今では、すっかり古びて、
ガタが来ている。

こうなると、自分がどちらに向かっているのか、当人にすら分からない。



9月25日(金) 今日は、朝から雨。

予定では、職安を覗いて、町に出て、そして、などと考えていたのだが、

今、5階の窓から空を見上げて、止まぬ雨に溜息ばかりついている。 


何となく、カレンダーを覗くと 「友引」 とある。

ともびき【友引】・・・。 


「コトバンク」より 
六輝の一つ。「物事に勝敗無し」という意味。
朝晩は吉、昼は凶と云われています。
元は「共引」と書いて何事も勝敗のつかない日とされていましたが、
時代の変化と共に 「友引」 となりました。
文字の連想からこの日に 「友を引く」 という意味で、結婚式には
適しています。
しかし一方で、葬式や法事を行うと 「誰かがあの世へ引かれてしまう」
という迷信が生まれた為、火葬場などはお休みです。


「ウィキペディア」より 
六曜(ろくよう・りくよう)は、暦注の一つで、先勝・友引・先負・仏滅・
大安・赤口の6種の曜がある。
日本では、暦の中でも有名な暦注の一つで、一般のカレンダーや
手帳にも記載されていることが多い。
今日の日本においても影響力があり、「結婚式は大安がよい」
「葬式は友引を避ける」など、主に冠婚葬祭などの儀式と結びついて
使用されている。
六輝(ろっき)や宿曜(すくよう)ともいうが、これは七曜との混同を
避けるために、明治以後に作られた名称である。


「大辞林 第三版」より 
① 陰陽道(おんようどう)で,凶禍が友人に及ぶとする方角。 友引方。
② 六曜の一。 何をしても勝負がつかないとする日。
  朝晩は吉,昼は凶だが,のち,① と混同され
  この日に葬式を出すことを忌むようになった。 友引日(にち)。

今日は、「大辞林」の、
「何をしても勝負がつかないとする日。」
 ・・・を採用する。

(・・・って、何のこっちゃ?)

つまるところ、

「冷たい雨で、何をやっても結果が出ない。」 ということで、
今日の無気力をごまかし、自分を納得させようというわけ。
 

いやはや、何とも、面倒くさい爺さんではある。

明日、天気になぁれ・・・♪


時の喪失

2015年09月24日 18時05分27秒 | 考える
時の喪失
機会の喪失


今後、永遠に、「現在」 が再来することはない。 

限りある生命。
何かやりたい・・・ってのが、そもそも間違い。
人生は常に本番、待ったなしだ。

その上、否応もなく、やはり 「障害者」「老人」 はついて回る。 
社会はそれほど甘くないようだ。


賞味期限切れの食品チェックをする。
ついでに 「私の人生の消費期限」 もチェック。 

気にしても甲斐なきことだが、
今後の人生、コントロール半分・・・?

現状把握・・・毎度毎度繰り返すスローガン。

「火の用心」
と、何ら変わりない。


ともあれ、人生の整理整頓。
結果はどうあれ、1件1件 片付けていくしかあるまい。

今後は、私が、働くか、働かないかではなく、
「働かせてもらえるか、どうか・・・」 という 
極めて単純、明確、他動的な問題だ。  


本当は、彼にも、同じ事が言える。
自覚しようがするまいが、その刻限は迫っている。
今、こうしている間にも、間違いなく、日に日に 「老い」 は近づいている。


後悔しても、過去が変わることは、一切ない。
であれば、取りあえず、「今」 を必死に生きるしかない。 


生きる実感。
それは他者との交流でしか、感じ得ないものなのだろうか?
まだまだ、達観には、ほどほどほど・・・ほど・・遠い。

現在、迷走中・・・。


9月23日(水) 秋分の日。 ・・・晴れ。 

ふと思う。

たとえ、今、1億円の稼ぎがあったとて、
先の見えた私・・・200歳まで生きるとは言っているが、
現実の話、自分の死体の前に札束を積み上げられても、使いようがない。 


求めすぎるな。
無ければ無いように対応する。
・・・それしかない。

いずれにせよ、時は流れていく。
機会は、毎分毎秒、確実に失われていくばかりだ。



今日と明日で 考えが違っていてもいい。 
せめて今はこれが自分の考えだ、これをやりたいんだという思いをもって、
それを表現してみてはいかがでしょう。それがあなた自身を育て、どのような
時代にも処していける自信を生む、一つの生き方になると思うのですが・・・。
    (多湖 輝先生)
  「PHPアーカイブス増刊号」平成26年(2014年)5月17日発行
   前向きに生きる100の言葉より



明治、大正の文豪たちはパソコンなどは使っていない。
(何を突然・・・?)
そう、ただ、ベンチに腰を下ろしていても、何一つ始まりはしない。


9月24日(木) 今日は、医大、定期診断の日だ。

朝、また、夢を見た。

この所、夢を見る回数が増えている。
いや、正確には、見た夢を一部でも記憶したまま目覚める、
そういう状態が増えているということ。

普通、夢を見た記憶はあっても、内容はあやふや・・・、
というのが通常だと聞いている。

はっきり言って (言わなくても) 私は記憶力が悪い。
人と会って、帰宅した後、
彼と何を話したのかと思い出そうとしても、
思い出せないことが多くなった。

なのにだ。 


・・・血圧を測っている。
何度も何度も繰り返し測っている。
いや、連続して測っているというわけでもないらしい。

それなりの時間に合わせて測っている。
朝1回・・・、夜1回・・・。


何日か分の夢を、一遍に見ている。

定期検診が頭にあるためだろうか・・・。

それにしても、妙な話だ・・・??


そうそう、今朝の分は、ちゃんと測っておかねば・・・。
う~ん、これまた、夢でなければいいが・・・。

愚痴、グッチ、クッチ、コッチ、コッチ、コチ、コチ・・・

2015年09月22日 07時58分19秒 | 考える
この所、何か、無駄ばかり、やっているような気がしてならない。
他人のためにやっているつもりが、結局は無視され、
イジイジと、自分自身で、一人、後片付け。
それも、しごく当然のごとく・・・。

口数の少ない (遠慮しているのかも知れないが) 相手と付き合うのは難しい。
他人のことは気にしても仕方がない。
所詮、人は、完全に分かり合えるものではない。 


大体、自分一人の進路すら、まともに決めかねている状態だ。
自分の年金だけでは足らず、兄からの仕送りに頼っている現状 (惨状) ・・・。
他人様の世話までしようというのが、そもそも間違いなのだろう。


平成27年8月13日(木) 「メモ」より

職安にて
そのお年では、福祉関係は無理かも・・・そんな口調だ。
あと20年若ければ・・・などと思ったが、よくよく考えてみれば、
それとて、無資格、無経験では・・・!!  


2012年7月31日、定年退職。
その後、無職・・・、すでに丸3年を経過。 

そもそも、就業そのものが、首を傾げられる年齢だ。 
私以外に出来ない仕事なんぞ何もない。
選別、選択の余地無しだ。
生活資金さえ稼げたら、それでいい・・・とは言うものの・・・。

投資とか何とかいう前に、生活費の確保・・・。 
他人の金を当てにして生きるなんぞ、願い下げだ。
とは言うものの・・・ねぇ。


平成27年9月21日(月) 敬老の日。

何の努力もせずに、結果の出るはずがない。
読まれるには読まれるだけのいい文章を書かねばと思う。
それが私の文章修行でもある。 


ダウンタイム = 隙間時間 の活用。

成功するには、するだけの理由がある。
何もしなければ、成功も失敗もないはずだが、
「何も出来なかった」ということが、そもそも「失敗」と言っていい。


弱者にとっては、世間は冷酷です。
いくら胡麻を擂ったって世間は弱者の味方はしてくれません。
ならば、いっそのこと世間を見下してやろう。
(「狂いのすすめ」 ひろさちや)



平成27年9月22日(火) 午前5時40分 今日も晴れか・・・。 
午前6時40分 窓から青空が見える。
窓の外を、スズメだろうか、カラスだろうか・・・、
何か、鳥が一羽、横切っていった。 


タバコに火を付ける。 
この所、タバコの量が増えた。
口が寂しいというか、気がつくと、目でタバコの袋を探している。


町のたばこ屋さんとは、すっかり顔なじみになってしまって、
私が店に近づくと、スイッと、いつものタバコが出てくる。


知り合い(?)が増えたということで、それはそれでいいことなのだろうが、
何しろ「喫煙は、あなたにとって肺がんの原因の一つとなります。」との、
厚生労働省のお墨付きである。

130年後の日本を、この目で確認しようと目論んでいる私としては、
一つの悩みともなりつつある。


残り、3本、・・・いや、2本か。
タバコの煙と一緒に、私の時間も天井に向かって消えていく。
あまり正確でない我が家の時計が、午前7時53分を指している。
・・・54分、・・・いや、55分だ。

目が覚めて、真っ先に頭に浮かんだこと

2015年09月20日 09時32分05秒 | 日記
2015年(平成27年)9月20日(日) 午前4時15分

目が覚めて、真っ先に頭に浮かんだこと・・・。

「無理して何かをしようとするな。」
「しかし、無理してでもやった方がいい時もある。
・・・まぁ、どちらがどうと決めつけられないものだな。」


再び(?)、まどろむ。
夢を見た。

十字路の真ん中に立っている。
どちらに行こうかと迷っている。


突然、正面に人の影。
こちらに向かってくる。

人影はだんだん増え、
目の前にやって来たときは、大群衆にふくれあがっている。

私は思わず横の柱にしがみつく。
その前を群衆は、いきなり右折して通り過ぎる。
私のすぐ目の前を、途切れることなく通過する大群衆。

柱から手を放したら、この群衆に踏みつぶされそうだ。
両腕に一層力を込める。


気がつくと、私は、バスの後部座席から後ろを眺めている。
こちらに向かってくる群衆の影が、見る間に小さくなり、遠離っていく。


ふと思う。
「このバスは、一体、どこに向かっているのだろうか・・・?」


何となく目が覚めて外に目をやる。
青い空。 白い雲。 いい天気だ。
山並みが、碧く、くっきりと見える。

午前7時40分
さて、今日はどうしようか・・・?

「メモノート」 より

2015年09月17日 19時47分43秒 | 考える
※ ちょっと前のメモから・・・。

人が、何かを為そうと思い立った時、
「自分には、まだ、そんな能力も資格もない !!」
そんな風に考えて、すぐさま行動に移せないことがある。
・・・何となく躊躇してしまう。

そんな時、知ってか、知らずか、人は、躊躇した理由、言い訳を用意する。
「自信が持てるようになったら、すぐにも手がける。」
「まず資金を作って、それから始める。」
「取りあえず、結果が出るのを見て、次の行動に移る。」

そんな風に考える。

結果、いずれの場合も、自分が本当にやりたい事、夢の実行は先送りになる。

しかし、時間は、そんな、こちらの想い、こちらの躊躇に関わりなく、
常に、何事もなかったかのように流れていく。

ふと気がつけば、何ひとつ変わっていない自分が、独りそこに立っている。
結果、先送りされた夢は、ほとんど実行されないままだ。


私自身、ずっとその繰り返しだった。

人は、いつも熱い想いに、心を揺さぶられ、
そして行動に駆り立てられる。


今、すぐに実行する。
今、ここで、一歩前に踏み出す。
そこに、初めて「次の道」が見えてくるはずだ。


<スティーブン・R・コヴィー著 完訳 「7つの習慣」 より>   

第2の習慣 (「主体性を持つ。」)より

私たち人間には限界がある。 しかし限界を押し広げることはできる。
・・・・・・

「総ての人が、人生における独自の類い稀な力と使命を持っている・・・
その点において、人は誰でもかけかがえのない存在であるし、
その人生を繰り返すことはできない。
したがってすべての人の使命、そしてその使命を果たす機会は、
一人ひとり独自のものなのである。」 (ヴィクトール・フランクル)