80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

クリーンウォーク、プラネタリウム、そしてロケット

2017年09月09日 16時30分30秒 | 考える
2017/09/08(金)
本日、クリーンウォーク 9名、参加


ゴミを拾っていて思う事がある。
普通のゴミ、コンビニの袋や菓子パンの包み紙も無造作に丸めて、
道端に棄てられているのも問題だが、
タバコの吸い殻・・・、これが思ったより多い事だ。

そんなのに、いちいち目くじらを立てて怒ることもないじゃないか。
棄てるのは、たったの一本、それも、直径5ミリ、長さは2センチほど、
ゴミと言うのも恥ずかしいほどのものでしかない。
そう考えて、・・・いや、そんなことなんか考えもせず、無造作に指で
道端に、弾き飛ばして行きすぎる。

いつも思う事だが、自分がやっていることは、他人もまた、やっている
かも知れないと気づくべきだ。


自分自身に対する反省をこめて、そんなことを考えた。


相模原市立博物館、プラネタリウムに入る。
 
13:52 観覧券購入。
障害者、無料 ・・・私(?)。


・・・う~ん、これって、「儲け、儲け」と喜ぶべきなのだろうか??
ちょっと、首をひねる。


14:40 投影開始。

夕方、星が見え始めて、朝になって星が見えなくなるまで、全天の星が
移動する様を、担当の女性の解説で見せてくれる。
想像していたより短い時間で終わってしまったのが、ちょっぴり残念。


プラネタリウムを出て、
「JAXA(宇宙航空研究開発機構) 相模原キャンパス」へ移動。
 〒252-5210 神奈川県相模原市中央区由野台3-1-1
 電話 042-751-3911 (代)


思い出した。

少年の頃、ロケット工学者、糸川博士に憧れ、将来は宇宙に飛び出す
ことを夢見た。

あれから50余年、心ならずも地べたを彷徨い、這いずり歩く・・・
と言いたい所だが、それすらも、想像でしかない老人と成り果てた。

今、目の前にしているロケットは、私が手に入れるには、あまりにも
大きすぎ、そして、遠すぎたのかもしれない。

展示されたロケットの原寸模型は、私が考えていたよりずっと大きく、
想像していたよりは、ずっと小さなものだった。


それにしても、相模原、町田と 30年以上も、「夢」 と隣り合わせに暮ら
し続けてきて、今頃になって友人に導かれ、その存在を知るとは、私
の宇宙に対する夢、人生に対する執着心が、何ともひ弱なものであっ
たのかを、改めて考えさせることとなった。

夢を見続けることと、現実を生きることとは、かくも違うものであるこ
とを改めて知らされた一日だった。


私の過去の職場を思うと、結果、それぞれに充実したものだった。

しかし、今にして考えてみると、他に道が無かったとは言え、さらに、
良い悪いはともかく、私は、少年の頃からの夢を見失い、いつの間
にか忘れ去って、ひたすら、生きてきた人生だったとも言えそうだ。

8月30日(水) 晴れ (月の替わり目に)

2017年09月01日 18時54分59秒 | 考える
「50年間、そして先日(同窓会)でも、出逢いそこねた旧友に」

いやはや、本当に、人生という奴は矛盾だらけですね。
やぁやぁ、お久し振りです。
・・・なんてね、・・・本当は、君に会いたかったんだ。

自分はひとりぼっち、他人のことなんか、いちいち気にしている
暇なんぞありません。
などと言ってはみても、結局、最後は他人の意見を当てにしている
自分を発見しています。
結局、どういうことなのでしょうかねぇ。

私は、一体、何がやりたかったのか?
これから、どう生きていったらいいのでしょう?
どう生きるにせよ、他人との深い(?)関わりの中で、その実現性はあ
るのでしょうか?

君は人生を充分に生きて来ましたか?
今、満足して生きていますか?


再就職・・・問題は「夜」と「孤独」に対する私の恐怖心。
就職は期待に過ぎない・・・などと、決まる前から、予防線を張る。
いやはや、何とも情けない話です。

人それぞれ、十人十色、好き嫌い、得手不得手、いろいろあって当然。
いつまでも悩むことはないと思っています。

決まるにせよ、決まらないにせよ、いつまでも悩むことではありません。
自己流で対応すればいい。
その結果が、今後の私の人生に、決定的な結果をもたらすというもので
もないでしょう。

んっ ・・・本当にそうだろうか?

まぁ、それはともかく、現時点を中心に、大切に、物事を考えていく。
いずれにしても、一つの大事な思い出 (人生の過程) です。

今の私、一体、何が欲しくて生きているのでしょうか?
常に、人生の仕上がりを想定して作業しているつもりです。

団地で、職人さんが、樹木の剪定をやっていました。
人生もまた同じようなものじゃないでしょうか。
余計なものは、どんどん切り落としていく。

ふと、そんなことを考えました。

今、何がやれるかではなく、ともかくやってみる。
大体、私は、もう仕事を選べる年代ではありません。

格好良く言えば、チャレンジ精神を目の前に押し出して残りの人生を
生き抜いていく。


今まで、こんな体で、何とかやってきました。
これからだって、やれないことはないでしょう。
やれるか、やれないかではなく、やるかどうかなのです。

自然体で・・・。
気になることは、体全体で、気にする。
無理矢理、気にしないふりをすることもないでしょう。

忘れたら忘れたで・・・いや、それはちょっと・・・、
人と人との間で生きていく以上、忘れる・・・、
やはり、それは少々まずいかも知れませんね。


無理矢理、朝飯、夕飯と、両方、喰わねばならぬ事もない。

人は、自分に託された仕事をしっかりと、懸命にやればいいと思います。

自由とは、本当に不自由なものです。
便利もまた、よくよく考えてみれば、実に不便なものです。


金が充分にあれば、総て「問題解決」となるのでしょうか?
残念なことに、充分だと思えるほどの金を持ったことがないので、
確かめようがありません。


しかし、それはともかく、どこにいても暑い時は暑い。
これこそ、何とかならないものでしょうか!!

いつまでも、俺 (S) である必要などないのではないでしょうか。
「風来仙人」であり、「風来居士」であって一向にかまわないのでは・・・。

それにしても、重ねて言いますが、本当に暑いです !!
さすがの風来居士も、風がなければ手も足も出ません。

金無くて、身動き取れぬ70代。

男同士、妻と死別したものと、未婚、女性と生活体験のない者とでは
話の合うはずもありません。


・・・にしても、隣の女性同士、よくまぁ、話すことが尽きないものです。
感心してしまいます。

まぁ、それはそれで、いいでしょう。
所詮は 「人生とは、結局独りで、人間として生きていくこと」 なのです。

まっ、「私の人生は・・・」と、但し書きを付け加えて。