先日バス停でお会いしたご婦人に薦められた本「流人道中記上・下」を読みました。時代小説で、薦められなかったら、きっと読まない本です。ご婦人がどこに感動されたのかと興味がわいたので読もうと思いました。江戸の旗本「青山玄蕃」が姦通罪で切腹を言い渡されるのですが、切腹を拒んだので、蝦夷松前藩に流罪判決が下されたのでした。30代半ばの青山玄蕃を松前藩まで届ける役を仰せつかったのが19歳の石川乙次郎(押送人ーおうそうにん)です。押送人とは受刑者を監視のもとに他の場所へ送り届ける人のことです。罪人ながら品性や良識が備わっていて冤罪ではないかと疑わしくなります。道中は様々なことに遭遇し、青山玄蕃の言動で石川乙次郎は成長していきます。例えば
「一盃一掬千載月」 いっぱいいっきくせんざいのつき
と青山玄蕃が揮毫(きごうー毛筆で文字や絵をかくこと)したのを最初は
「小人は今宵も一盃の酒を掬って永遠の月を眺めるとしよう」
という意味にとっていました。その後
「一盃一掬の酒にも永遠の月は浮かんでいる(希望を捨てるな)」
という意味ではないか?または
「手にした器の大小にかかわらず、幸せは公平に与えられている」
とまで思い至りました。その字が墨痕淋漓(ぼっこんりんりー筆で書いた文字が黒々と,生き生きとして勢いのあるさま)なのです。石川乙次郎は玄蕃のことを「きっと空のように海のように、玄蕃は大きい。風のように雨のように玄蕃はやさしい」と思うようになります。青山玄蕃が姦通罪などではないのは明らかです。どのような事情なのか早く知りたいのですが、それは最後まで語られません。青山玄蕃は「武士の存在自体が理不尽で罪。武士という罪をおのが身で償う。千年の武士の世のささやかな讀罪(しょくざいー罪滅ぼし)とする」と語りました。冷たい風ですがすがすがしい風が体中を吹きわたっていきました。石川乙次郎もさぞかし良い人生を送るだろうと確信を得ました。とても感動しました。青山玄蕃様は心にいつまでも残る、残しておきたい武士だと思いました。
2023-2-24(金) 図書館資料 請求番号:913/アサー1,アサー2
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