眠りたい

疲れやすい僕にとって、清潔な眠りは必要不可欠なのです。

月光

2005-11-07 | 音楽
月が綺麗な夜は、なんだか嬉しい。
月の満ち欠けが人の心に影響する、と昔のお医者は考えていたらしい。
あながち嘘ではないような気がする。

 フェルナンド・ソルの練習曲のなかにとても有名な曲がある。
 後世、「月光」と名付けられた。
 とても美しい曲だ。
 クラッシックを始めて幾年が流れて、僕もやはりこの曲を弾いてみた。
 指はついていった、でもそれは音楽ではなかったような気がする。
 あれから数年がたった。
 時間が解決してくれたものもあった。
 もちろん、失う大きさも。

 今なら、あの月の神秘的な感覚で弾けるだろうか?

月が綺麗な夜は。
  なんだか泣きたくなる。

     そんなもんだ。



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play or die

2005-11-01 | 音楽
80年代、早弾きギタリストのテクニックの競争は激化していた。
マイク・ヴァーニーのシュラプネルレーヴェルはその象徴だった。イングヴェイの数多くのフォロワァー達。出すアルバムが飛ぶように売れていった。だがしかし、確実にテクニックだけではない、と思えるギタリストももちろんいた。
ポール・ギルバート、レブ・ビーチ、ヌーノ・ベッテンコート、ヴァーノン・リード、ジェフ・ワトソン、ブラッド・ギルス、スティーヴィー・サラス、トニー・マカパイン、グレック・ハウ、マイケル・リー・ファーキンス、・・・。
彼らが、その情熱を自らの非凡なテクニックで昇華させていた頃、今は巨匠となったスティーブ・ヴァイは(レベッカでも一曲、ソロを弾いている)、アルカトラスからデイブ・リー・ロス・バンドで新たな境地を模索する。その師、サトリアーニはスチュワート・ハムのソロアルバムで新しい方向性を垣間見せていた。

しかし、いつしか早弾きが飽和状態を見せたとき、世界のロックシーンは変化した。ハードな早弾きで美学を追い求めたり、感情を表現するよりも、テクニックを兼ね備えながらあえて必要とされない音楽が好まれるようになった。それは、時代の自然淘汰なのかもしれない。あるいは求められる音楽の好みの趨勢なのだろうか?僕にはわからない。ただ僕も、この頃からハードロックの新譜をあまり手にすることがなくなった。
僕はクラッシック・ギターの親密な生音に魅了された。そうして月日は流れた。

ある日、友人から一枚のCDをプレゼントされた。
それが、「play or die」だ。
初めて音を耳にした瞬間、懐かしい気持ちになった。その超絶テクニックの嵐にはまさに脱帽だ。ギターはこれでもか、というくらいに弾き倒しフレットレス・ベースは低音をしっかり支えながらも平気で高速ユ二ゾンをびしばし決めてくる。トリオのインストバンド。怖いくらいのテクニック。
しかし、一度は離れた音楽。どうしてこんなに新鮮に感じるのだろう?
まるで、忘れ去られた吉野家の牛丼にありつけたかのように・・・。奇妙に惹かれる。耳を奪われてしまうのだ・・・。

今の音楽シーンへの苛立ちがこのおかしな現象を引き起こす。
必要とされなくなったテクニックは、その反動でテクニックがなくても売れる音楽を散布した。まるで、戦後、GHQが撒き散らしたDDTのように・・・。
そうして、誰しもが手軽に出来る作曲や、音楽とはあまり関係のない音楽産業が構築された。必要性があるから売れるのだろう。

   だけど僕は嫌だ。
    はっきり云う。苦手だ。

そんな時代だからこそ、「play or die」の演奏に吸いつけられた。
ギターの「溝畠 一輝」のソロアルバムが発表されたらしい。
  シュラプネルを意識した・・・とのこと。

 今、シュプラネルを意識する、と公言するギタリストもすくないのではないか?
もっと聞こえの良さげな、仰又しい文句が出てきそうなもんだ。
 でも、そこに自らの「音楽」への自信が垣間見える。
時代に左右されないほどの、御自分の表現方法をお持ちなのだろう。
僕は、まだこのアルバムを耳にしていないので、えらそうなことは本来何もいえない。
    でも。
    長い時間の流れのなかで
     自身の音楽を貫かれてきたであろう、強い意志。

    「play or die」の頃と今。

    是非、耳にしたい。
    そして、こんな方が埋もれている不思議に驚くのだ。

    アルバムと購入方法については、このギタリストを僕に教えてくれた、友  人、TOMMYさんのページ、「変態のつぶやき」まで。
もちろん、僕なんかよりも詳しく、愛情をもってこのバンド、ニューアルバムについて書かれています。ぜひ、この文章をみられた方がいらっしゃるなら、足を運んでみてくださいね。

  しかし・・・。
  驚異的なテクニック。
  音楽性。

     びっくらこきました。
    
      日本も広いな~・・・。




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緊急連絡

2005-10-15 | 音楽
珈琲にウィスキー入れて飲んでます。
上手いんだな~これが!

Tommyさん。
キャメルのDVD購入したいのですが、ホームページ英語で困ってます。
加えて、パソコンオンチなのでインターネットで注文したことがないのです。
時代遅れの化石は機械が苦手手で、途方にくれて夜中の二時でございます・・・。
購入方法おしえてくれませんか?

ウイスキーが無くなるのが早いか?
それとも珈琲が切れるのが早いのか?

緊急連絡でした!


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レコードショップ

2005-09-14 | 音楽
レコードショップに散りばめられた世界
細分化され 細やかにジャンル分けされた音楽達

ありとあらゆる商品に彩られた店内は
まる世界の陳列棚

ある人は評判の新譜の場所へ
ある人は古いロックンロールを 思い出と共に
ハードロック、忘れ去られた映画音楽
クラッシック
ジャズ
ブルーズ

玩具箱をひっくり返したように 音楽の商品は目まぐるしく入れ替わる
まるで思想と哲学が
時代と共に入れ替わるように

膨大なレコードの中から
選び取る一枚は
決まっている
外のコーナーは誰かにまかせて
気むずかしい頑固な職人の目を持って
僕らは宝物を掘り出すんだ まるで大航海時代の海賊のようだね
祝杯を上げよう
この素敵な宝物に

レコードショップ
幾千の世界が
資本主義の名のもとに陳列された
どんな世界を選び取ったとしても
それは自由だ

選びとる世界

いろんな場所へ行けるだけど
行く場所はなんだか決まっているようだ

幾千のレコードから
一枚を選び取る

幾つもの世界から
ある生き方を選択する僕が選ぶ世界
誰かが選んだ一枚

店内はショーアッブされ 街明かりの届かない孤独を忘れた

誰かはあたらしい世界を望む
僕はというと
ちいさな限られた世界に魅せられる



今は無い
古い 汚らしい
古レコード屋の匂いが
とても懐かしい

とてもね




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19世紀ギター

2005-09-13 | 音楽
ワインを飲みすぎた翌日の朝はつらい。
頭が割れそうに痛くって吐き気が止まない。そんな朝は、まるでアルコールで脳みそを消毒した気分になる。奇妙にすっきりしている。

先生の自宅でワインの空き瓶を並べ、僕らはいろいろな話をする。
酔っ払いの戯言。けれども僕らは、音楽で心を開くことができると信じている。
音のつらなりが世界を変える、と酔っ払った勢いで語り合う。
世界の在り様を変える。
まるで、ジム・モリスンかウィリアム・バロウズだ。
酔っ払う。
親密な空気が優しい夜。外は雨だったようだ。

暑かった夏もやがて過ぎ去るだろう、かつてそこに存在した人々が何処かへ消え去っていった様に。それは、いいことでもなく悪いことでもない。
ただ寂しいだけ。
刻は過ぎ行く。

先生は滅多に通してくれない部屋に僕を呼んだ。
冷房が一日中かけられ、室温と湿度が平均的に保たれている。
ギターを置く部屋だ。
先生は、おもむろにケースを開き、四本のギターを並べた。
どれも先生がメインで使う大切な楽器だ。僕はこのギターのケースを持たせてもらえるのに三年かかった。

 「sherbet、ギター触ってないだろ。好きなの使っていいぞ。」

先生はそう云って珈琲を沸かしに消えた。

    僕は丁寧に四本のギターに手を触れた。

一本一本性格が違う。でもみんな素晴らしい音色をしていた。
僕は、四本のギターを弾き比べながら音の世界に身を浸した。
二ヶ月ぶりに楽器に触れる。
久しぶりにギターをかまえると、なんだか見ず知らずの楽器を手にしているようだ。約二時間くらい音で遊んだ。

そのなかでも、僕の心を捉えて話さない楽器があった。
19世紀ギターだ。
もちろん僕は弾かせてもらうのは初めてだ。
かまえると、現代ギターのボディーよりもひとまわり小ぶりだ。
弦のテンションが異常に柔らかだ。
音を出して驚いた。意外に音量があるのだ。そしてその音色はなんか上手く表現できない。
簡単に云うと、親密な音。
指先の爪を落とした指頭のかすかなタッチにも反応する。
今、僕が欲している音がこの音色だったんだ。

  何も考えず、指が憶えている曲を片っ端から弾いた。
    弾きながらしあわせだった。
     先生の気持ちや、いろんな人の顔が浮かんだ。

いろんな気持ちや価値観があるように、いろんな音楽があり、いろんな楽器がある。いろんな感情があり、いろんな世界が無数に広がっている。

    僕は親密な音楽にとても惹かれる。

19世紀ギターの音色は、そんな瞬間を僕にくれたんだ。






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楽しみを希う心

2005-09-09 | 音楽
深い森に迷い込んだようだ。
深い海に底に忘れてきた夢のように。

マイケル・ナイマンの映画音楽には定評があるようだ。僕はそれほどシヴィアな映画ファンではないのでよくわからない。
けれども、映画「ピアノ・レッスン」が話題になった年、僕はナイマンのこの美しい旋律に惹かれて映画館に足を運ぶことになる。

「ピアノ・レッスン」はとても美しい映画だった。
けれども、そのメイン・テーマ「楽しみを希う心」は映像をはるかにこえる美しさだった。

この旋律を耳にした瞬間、僕は今までに忘れた、あるいは失くして来た何かに想いをはせる。とても繊細でガラス細工のように儚く心を揺らす。

ある病院のあるピアノ室で誰かがこの曲を弾いている。
どこかの音楽室のピアノで誰かがこの曲を練習していた。
黄昏の刻印。
忘れてはない約束。
僕らは失う生物だ。失うことによって大切な何かに気ずく。
そして哀しいいことに遅すぎるこの想いが現実なのだ。
けれど僕は願う。
夢の世界を忘れぬよう。現実の雑に疲れることもある。
けれどおんなじくらい夢を忘れないことだって、もちろんたいせつなんだ。

「楽しみを希うこころ」

この曲が最近僕の夢を震えさせる。


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さくらんぼの実る頃

2005-07-29 | 音楽
加藤登紀子さんの声には、僕を強烈に惹きつける魅力がある。
アルバム、「さくらんぼの実る頃」もやはり僕は愛してやまない。
どうしてこんなにも魅力的なんだろう?
たぶん、彼女の生きてきた人生の香りみたいなものが唄ににじみ出ているからなのではないだろうか?人生の優しさ、苦い想い、絶望そして希望。
いろいろなエセンスが微妙な加減で僕の涙腺を刺激する。
唄、というのは(音楽というのは)、こういうものなんだと納得する。

   「時には昔の話を」

この曲を僕は宝物にしている。
切なくて、どうしようもなくなる。自分の過去の多感な或る時期を思い出す、切ない。そうしてこの唄は僕に愛情を与えてくれるんだ。

  「道端で眠ったこともあったね
   どこにも行けない みんなで
   お金はなくても なんとか生きてた
   貧しさが明日を運んだ
   小さな下宿屋にいく人もおしかけ
   朝まで騒いで眠った」

僕はこの唄を大切に思う。失われた時間。
僕も仲間たちも、精一杯生きている。

 応援歌なんだね。
  今日はお酒をやめて、ぐっすりと眠ろう。

    眠れないなら、この曲を

      朝まで聴いていよう・・・。



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メディシンマン

2005-06-29 | 音楽
ある方々は、音楽の起源を古代の呪術師(メディシンマン)の行為に始まったという。

  「その音楽観とは悪霊を追い払うための魔術としての音、すなわち”魔法としての音楽”
   であった。シャーマン教巫術者、祭司、魔法使い、医術者は歌手という職が成立する
   以前の長い間、音楽を管理する音楽術者であった。」
             (「魔法と治療としての音楽」モーザー)

キリスト教以前の音楽、それらの古代史においては奇妙な音、唸り音などの騒音は悪霊を脅かそうとしてこの呪術師たちがいろいろな音を工夫したのではないか?とその歴史にふれている。

  ノイジーな音。サイケデリックな実験的な多くの試みはまるで呪術師のそれでは
    ないだろうか?

僕は専門的な知識を持たないので、あまり多くを語れないのだが、音楽の歴史や音楽療法と呼ばれる文法の中には確かに、ある種不思議な視点があるようにも思える。

使う楽器や流行すたり、売り上げ枚数やレコード会社との契約や営業戦略。そういう場面が多く話題にのぼる昨今、いろんな視点を持つことが出来ればそれにこしたことはない。
若い、音楽療法学科をでた方とお話をする機会があった。
彼女の世代では、沖縄の音楽は癒しの効果があり自分はそれに惹かれるのだ、とおっしゃった。
もちろん、コンディショングリーンとか紫の世代は完全に見失われている。
ベトナム戦争の頃のこの島のハードロックシーンは昔話のようにみえるのだ。僕だってそうだ。

     話が完全にそれた。

音楽の魅力にはたくさんの視点があっていい。
ただ云いたかったのはそれだけだ。
その話になると。
   あるミュージシャンが云った。
  「して、それで食っていけるの?」

口ばかりの僕は、少々気恥ずかしくなって聞いてないふりをした。


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なつめろ酒場

2005-06-21 | 音楽
仕事を終え、家に帰った僕がはじめにすることは、まず、ビールのふたを開けることだ。疲れたのうみそに一杯の冷えた缶ビール。
なんてしあわせなんだ。
2本目のビールを開けた頃、畳間でごろんと横になっている親父をみつけた。僕もごろんと側に寝転がる。
ほどよく酔いのまわった僕は、親父の横で「上海帰りのリル」を口ずさんだ。
親父は、「おお、懐かしい、どこでおぼえた?」と云いながら一緒に歌い始めた。
これは知っているか?と、「湯町エレジー」を歌いだす。負けてられない。僕はすかさず「影を慕いて」を歌いだす。これはどうだ?と親父が歌い続ける。「星影のワルツ」、「蘇州夜曲」「君恋し」「さざんかの宿」「ここに幸あり」「柔」「上を向いて歩こう」「知床旅情」「シナの夜」「港町十三番地」「りんごの唄」・・・。
きりがない。
親父は、酒もってこーい、と十年前に止めた酒と煙草と飲み歩いたバーに想いをはせる。一時間も、我々は畳に寝転がって歌い続けたのだった。

まさしく
「なつめろ酒場」


ジャズやロックやクラッシックもいいけれど。
親父と歌うなつめろも、なかなかおつなものだ。
しかし。
お互い、よく歌詞をおぼえていたもんだ。

こんどはなにを歌おうか?




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エリック・ジョンソン

2005-06-20 | 音楽
寮に住んでいるとき、音楽好きの先輩から突然これを聴くように、と指令が飛んだ。
先輩の意見は絶対で逆らえないものが世の常であるので、渡されたテープを急いでウォークマンに放り込んだ。それがエリック・ジョンソンのアルバムだった。

  「遥かなるドーヴァー」

この曲を聴いたときの鳥肌の立ち方は尋常ではなかった。
フレーズのひとつひとつが。音色の美しさが。あまりにも痒い所に手が届くのだ。
で、90年に発表されたセカンド「未来への扉」はいまだって大好きなアルバムだ。

G3で彼の名前がクレジットされていたのを見て、微妙に複雑な心境におちいった。
それについては賛否両論があるかも知れない。
でも、できるなら彼だけのステージが見たいな~、と僕はおもった。

先輩は、「テラ・ローザ」の熱狂的な信者だった。なかでも、天才ギタリスト「三宅庸介」さんの
フリークだった。三宅さん、当時21歳。
彼がテラ・ローザのファースト・アルバムでエリック・ジョンソンに触れていたのを先輩は見逃さず、輸入盤をさがしまくっていたらしい。

エリックはヴィンテージのストラトと幻といわれるギター・アンプ「ハワード・ダンブル」を使用しているそうだ。電気系統にうとい僕にはよく分らないが、とにかく素晴らしい音色だ。
先輩に感謝している。

ここに遊びに来てくれる、大切な友達、Tommyさんの携帯の着信音も「遥かなるドーヴァー」だそうだ。tommyさん、やっぱりいい曲はいいですね~。

ひとつ気になることがある。
天才、三宅庸介氏は現在活動なさっているのだろうか?

Tommyさん、なにかご存知なら教えてね。
僕はいまだに彼のファンなのです・・・。



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