グループホームに入所していた母が月曜日に特養へ引っ越した。
2年近くお世話になったグループホーム。職員さんには本当に良くして頂いたが、ここは要介護3くらいまでの人が入る所。4だった母は、特養の部屋があくのをずっと待っていた。お別れの時は、職員さんが皆さん涙で送り出して下さった。(お別れの時は、私も涙々で写真を撮るのを忘れた。これはホームからミカン狩りに行った時の父と母。)
60歳過ぎたところでアルツハイマーになってしまった母。数年間ゆるやかな進行だったが、良くなることのない病気だ。家族のことが誰かわからなくなってからも、父はずっと一人で献身的に介護していたが突然やってきた昼夜逆転や徘徊。母の面倒を最後までみると言っていた父も、心身共に疲れ果て鬱状態のようになってしまったために、グループホームに母を入所させるよう私がすすめた。
父に限らずだと思うが、最後まで自分で介護しようと思っている人は、施設に入れることを悪いこと(申し訳ないこと)だと思いこんでいる方が多いような気がする。が、同じ話しを一日中、繰り返しているのを聞いていたり、徘徊で目が離せない状態になった患者を抱えている介護者は本当に大変だ。周りに他に頼る人があればいいが、一人で抱え込むには限界がある。
私は義父とも同居しているし、実家から車で1時間ほどの所に住んでいるため、週に一度は通っていたが充分手伝うことは出来なかった。父も自分自身の体調のこともあり、しぶしぶ母の入所を決意した。ホームの申し込みと同時に、特養への申し込みをしたが、私の住む市の特養は200~300人待ちは当たり前。ただし、先着順ではなく、介護の度の重い人や介護する人がいない人からの入所待ちなのだが。
今回入所できた特養は、娘が2年間ボランティアで通っていたところ。そして、クロもお散歩で行ける場所。1ヶ月くらいは、環境が変わったことで落ち着かないかもしれないので、しばらくはなるべく様子を見に行こうと思っている。
自分の親がこういうことになるなんて、結婚するときは考えもしなかった。なんでもできた人なのに、何も出来なくなってきている母。そして、ほとんど感情のなくなってしまった母。 が、犬好きだった母に犬のぬくもりを感じさせてあげたい。
車の恐いコロをここまで歩かせることは出来ないが、娘がいる時はクロを連れてきてもらい、クロを触れることで大好きだったジュリーのことを思い出させてあげたい。(写真はコロが赤ちゃんで、ジュリーよりも小さかった時。この頃、母の病気はまだ大変なことにはなっていなかった)
笑うことすらほとんどない母は、生きていて幸せなんだろうかと時々思う。が、大腿骨骨折の後、お医者さんから歩けなくなるかもと言われながらも、室内や、近い距離なら屋外も歩くようになった。一時はお箸も持てなくなっていたのに、今は介助して頂きながらだが、自分で食事もできるようになった。母には頑張ろうという意志はないけれど、頑張って生きているんだと思う。父も公共の乗り物を乗り継いで母に会いに来る。私も近くなのだからなるべく会いに行こうと思う。もしかしたら母のためというより、父も私も、自分が後悔したくないからなのかもしれないが。
2年近くお世話になったグループホーム。職員さんには本当に良くして頂いたが、ここは要介護3くらいまでの人が入る所。4だった母は、特養の部屋があくのをずっと待っていた。お別れの時は、職員さんが皆さん涙で送り出して下さった。(お別れの時は、私も涙々で写真を撮るのを忘れた。これはホームからミカン狩りに行った時の父と母。)
60歳過ぎたところでアルツハイマーになってしまった母。数年間ゆるやかな進行だったが、良くなることのない病気だ。家族のことが誰かわからなくなってからも、父はずっと一人で献身的に介護していたが突然やってきた昼夜逆転や徘徊。母の面倒を最後までみると言っていた父も、心身共に疲れ果て鬱状態のようになってしまったために、グループホームに母を入所させるよう私がすすめた。
父に限らずだと思うが、最後まで自分で介護しようと思っている人は、施設に入れることを悪いこと(申し訳ないこと)だと思いこんでいる方が多いような気がする。が、同じ話しを一日中、繰り返しているのを聞いていたり、徘徊で目が離せない状態になった患者を抱えている介護者は本当に大変だ。周りに他に頼る人があればいいが、一人で抱え込むには限界がある。
私は義父とも同居しているし、実家から車で1時間ほどの所に住んでいるため、週に一度は通っていたが充分手伝うことは出来なかった。父も自分自身の体調のこともあり、しぶしぶ母の入所を決意した。ホームの申し込みと同時に、特養への申し込みをしたが、私の住む市の特養は200~300人待ちは当たり前。ただし、先着順ではなく、介護の度の重い人や介護する人がいない人からの入所待ちなのだが。
今回入所できた特養は、娘が2年間ボランティアで通っていたところ。そして、クロもお散歩で行ける場所。1ヶ月くらいは、環境が変わったことで落ち着かないかもしれないので、しばらくはなるべく様子を見に行こうと思っている。
自分の親がこういうことになるなんて、結婚するときは考えもしなかった。なんでもできた人なのに、何も出来なくなってきている母。そして、ほとんど感情のなくなってしまった母。 が、犬好きだった母に犬のぬくもりを感じさせてあげたい。
車の恐いコロをここまで歩かせることは出来ないが、娘がいる時はクロを連れてきてもらい、クロを触れることで大好きだったジュリーのことを思い出させてあげたい。(写真はコロが赤ちゃんで、ジュリーよりも小さかった時。この頃、母の病気はまだ大変なことにはなっていなかった)
笑うことすらほとんどない母は、生きていて幸せなんだろうかと時々思う。が、大腿骨骨折の後、お医者さんから歩けなくなるかもと言われながらも、室内や、近い距離なら屋外も歩くようになった。一時はお箸も持てなくなっていたのに、今は介助して頂きながらだが、自分で食事もできるようになった。母には頑張ろうという意志はないけれど、頑張って生きているんだと思う。父も公共の乗り物を乗り継いで母に会いに来る。私も近くなのだからなるべく会いに行こうと思う。もしかしたら母のためというより、父も私も、自分が後悔したくないからなのかもしれないが。