母の発病の頃のことを書いたあと、クロとチャロの誕生日が続き、その独占お出かけ記事を綴っていたので間が開いてしまいましたが、発病後のことを書こうと思います。
同じ事を何度も言うということはありましたが、病気の進行はとてもゆっくりでした。ただ、一日中母といて、同じ事を何度も聞かされる父のストレスはかなりあったと思います。それでも怒ることもせず、同じ亊に対して丁寧に答えていた父は、すごいと思いました。食事の準備は父が手伝いながらしていましたが、母ひとりにやらせると火をつけっぱなしにして危ないことが数回あり、母を台所に立たせることをやめました。また、一人で買い物に行くと言って出かけると帰れなくなることも出てきたので、母ひとりの外出もさせられなくなりました。
その頃には、施設に入れた方がいいと何度も父に助言したのですが、施設に入れるのは母に申し訳ないという気持ちのあった父は、まだ大丈夫と言い続けました。病気がもっと進行してくると、「もう帰らないと、お父さん(母の父親)に叱られる」と言って、母が子どもの頃に住んでいた家に帰りたがるようになり、徘徊が始まって目が離せなくなりました。母が子どもの頃に住んでいた家は空襲で焼けてしまってないのですが、夜中に勝手に鍵を開けて「帰らなきゃ」と外に出てしまうようになったため、父は母の手と自分の手を縛って、母が動き出すと目が覚めるようにしていたと言います。そして、ついには運転手さんに母の病気のことを理解していただいたタクシー会社の方と契約をして、母が夜中に子どもの頃に住んでいた家にどうしても帰るときかないときは、深夜でもタクシーを呼び自宅近く走っていただいて、途中で車を降りて少し歩き「もう家は空襲でなくなってしまったんだよ」と言い聞かせ、また自宅へ送っていただく日々が続きました。
つづく