柴犬多頭飼い コクマチャどん

コロクロ日記で07年に開設したブログ。15年から『コクマチャ日記』、さらに24年から『コクマチャどん』になりました。

母のこと 6(特養での後半4年間)

2017-11-29 08:43:47 | 介護

前回書いたように、8年間特養にいた中の前半は母の精神状態が一番荒れていた時でした。後半になると荒れていた時は過ぎましたが、ますますいろんなことができなくなり、以前はトイレまでは車いすで連れて行ってもらっていたのも完全に紙オムツになりました。そして、食事もペースト状のものになりました。前半が『荒』『激』という感じの4年だったとしたら、後半は『無』に近かったと思います。無というのは、表情がなくなり(いつも眉間に皺が寄っているような顔でした)、声を出すこともほぼなくなったからです。そしてそれは『静』とはまた違い、本当に『無』という感じでした。

特養に入所したとき、ある介護士さんから「施設に入れると、近くに住んでいても会いに来られなくなるご家族はけっこう多いんですよ」と言われた言葉がずっと心にあって、週に一度は必ず母に会いに行っていましたが、それは自分自身に課した義務のようになっていました。グループホームにいた頃は、まだ多少会話のできるときもあったし笑顔をみせてくれることもあったので、車いすで外に連れ出し、季節の移り変わりを楽しんだりもしていました。特養に行ってからも、前半は気分転換に車いすで外のお散歩に連れだしていましたが、後半はそれもできなくなりました。顔をのぞき込んでも、視線が合うことすらなくなりました。なので、後半は会いに行っても母の手を握ったりしているだけで、何もすることがないためすぐに帰りたくなり、施設に行くのもおっくうになりながらも通っている状態でした。そして母は食べ物の飲み込みが悪くなってきたため、年に2~3回、誤嚥性肺炎で入院するようになりました。特養にいた8年間を見ていて私は「家族の顔もわからない。動けない。楽しみもない(←いつも少し怒りの入ったような無表情の顔をしていたので) 母は、こんなふうに生きていることをきっと望んでいない。こんな病気になるなら私も生きていたくない」と思っていました。60代前半でアルツハイマーになり、それから22年こんな病気と闘い続けてきた母が、とてもかわいそうでした。

         つづく

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