2015年シーズン最後のレースとなった『ツール・ド・おきなわ2015』。
チームに同行したライター光石氏による、チームカー同乗レポートを掲載します。
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ツール・ド・おきなわ2015 チームカー同乗レポート
byミツイシ タツヤ
昨年よりシマノレーシングのレポートを一部のレースで担当させてもらっているが、今回、初めてツール・ド・おきなわの取材をさせていただくことになり、こちらも初めてチームカーからの同乗取材を行うことになった。様々なことが起こった1日を、あらためてチームカーの視点から振り返ってみようと思う。
■無線機の電池切れで奔走
国内ロードレースシーズンの最終戦にあたるツール・ド・おきなわ。一般道を封鎖してレースを行うため、朝は早い。まだ薄暗い午前6時ごろ会場に着くと、すでに市民レースに出場する選手たちが列を作っている。
僕はチームカーの待機場所がわからず、野寺監督たちに合流できたのはスタート10分前。そこから6時45分のチャンピオンレースのスタート時間ギリギリまで選手たちを撮影し、チームカーの助手席に乗り込んだ。
ツール・ド・おきなわのチームカーは、いつも使っているチームカラーのブルーにペイントされたワゴンタイプではなく、全チーム共通のセダンタイプのレンタカーである。運転席には野寺監督、後部座席にはベテランの大久保メカと僕と同じくチームカー初同乗という若手の広瀬メカ、その間にはボトルが入った大きなクーラーボックスが置いてある。
僕が助手席に乗ることで車内はだいぶ窮屈な感じになるし、積む機材も限定されたかもしれない。ちょっと申し訳ないなと思っている間に、スタートした集団の後ろを追ってチームカーもコースへと走り出た。これから、210kmの長丁場の戦いだ。
レースはスタート直後に3人の逃げが決まり、集団はスローダウン。野寺監督に聞くとシマノからも逃げに選手を送り込む予定だったが、一発で決まってしまったのでうまく入り込むことができなかったようだ。
集団のペースが遅いので、後方からは直後にスタートした市民レース50km・オーバー50(50歳以上)の選手が追い付いてきて、チームカーの隊列と横並びになるほどだった。
早くもトイレ休憩のために止まっている選手も多く、シマノのチームカーからも他チームの選手に声をかけたりと、集団全体にリラックスした空気が漂う。ときおり、沖縄の青い海も目に入る。
そんなとき、愛三工業のチームカーがコンビニに止まっているのが見えた。レース中にチームカーがコンビニに止まるのも意外だったが、どうやら無線機の電池が切れたので買っていたらしい。
チームカーに積むレース無線は審判がレースの状況(逃げの選手と集団とのタイム差など)を伝え、さらに選手が補給やパンクなどでチームカーを呼んでいるときに知らせてくれる唯一の連絡手段であり、これが聞こえないとチームカーは無用の長物となる。
シマノのチームカーはシガーソケットから電源を取っていたので問題なかったが、乾電池式の無線機を使用しているチームも多かったようだ。
シマノの後ろにつけるオランダのチーム、ベイビーダンプも無線機が電池切れになったらしい。このチームのピートという監督は、野寺監督とはスキル・シマノ時代のチームメイトで、ツール・ド・フランスにも出場経験のある元選手。チームカーが並んだときに「無線のバッテリーが切れたから、うちのチームの選手が呼んだときは手で合図してくれ」と頼まれた。
野寺監督は、ピート監督のためにコンビニによって電池を買うことにした。レースではライバルと言えども、困ったときはお互い様というのも自転車ロードレースの集団のいいところだ。
幸い、立ち寄ったコンビニにいた大会スタッフから電池を受け取ることができた。再びチームカーを走らせ、ピート監督のクルマと横並びになる。必然的に、助手席に座っている僕から電池を手渡すことになった。並走するクルマに窓越しに物を渡すなんて、普段の生活ではありえないことだが、そんなことに緊張する間もなくピート監督の手に無事に電池を握らせることができ、ホッとした。
■山岳に入り、レースが動き出す
レースは30km地点を過ぎ、チームカーからの補給が解禁になった。シマノレーシング新人の小山選手がチームカーを呼んでいるとの無線が入る。このツール・ド・おきなわのチームカーの隊列は主催者側がランダムに決めるそうで、昨年入部選手が3位に入ったシマノレーシングでも、19台中13番目と後方である。
ここから選手のいるところまで上がるのは時間がかかるのではと思ったが、空いている右車線を飛ばし、ものの1分ほどで小山選手のところまで上がり、チームメイトの分をふくめドリンクやパンを手渡した。
その後、レースは最大の難所である普久川ダムの山岳地帯に差し掛かる。逃げの3人とメイン集団の差はふもとで約20分と大きく開いていたが、上りで少しずつ縮まり始めているようだ。この道は2度通過するので、僕は山岳賞地点でいったんチームカーを降りてレースを撮影することにした。
しばらくすると、直後にスタートしたジュニア国際レースの選手たちがやってきた。このレースにはシマノレーシング新人の水谷選手が出場している。山岳賞手前では2人の選手が逃げていたが、水谷選手はその直後の集団内で3番手と好位置につけていた。調子はよさそうだ。
さらに市民レースの選手たちが目の前を過ぎ、1時間ちょっと経つと、再び男子チャンピオンレースの選手たちが上ってきた。逃げの選手は1人脱落して2人になり、その数分後方のメイン集団からは9人の選手が飛び出しを図っていた。
その直後の集団ではシマノレーシングの木村選手がこの9人を追いかける構えを見せ、入部選手、秋丸選手は集団内で落ち着いて走っている様子だった。
僕は集団の後ろでチームカーに乗り込む。野寺監督が「2人遅れました」と教えてくれる。若手の横山選手、小山選手がこの上りで集団から離れたようだ。僕も見たばかりのレースの状況を伝える。飛び出した9人は下りですぐに捕まるかと予想したが、数十秒のリードを守って逃げ続けているらしい。レースも後半に入り、戦いも激しさを増してきた。
■チームカーにまさかのトラブル
選手たちに続いてチームカーが下り坂を下っていると、どこかで「パタパタパタ…」という音が聞こえてくる。どうやらタイヤの溝に石か何かが挟まって、音がしているようだ。
横を通る他チームのクルマからも、「どうしたの?」と冷やかし気味に声がかかる。幸い完全にパンクしている様子はないので、野寺監督はそのままチームカーを走らせる。
そのとき秋丸選手から補給の要請があり、再びチームカーの隊列の前に出る。秋丸選手は助手席の僕に飲みかけのボトルを渡し、さらに補給食を要求。先ほどの電池のときと同じく選手に補給を渡すなど初めての経験だったが、反射的に体が動いてボトルをもらい、野寺監督から補給食のバーを受け取って秋丸選手に渡した。再び一瞬の出来事で、レースの緊張感の中で慌てる暇もなかった。その後は監督たちが気をつかってくれたのか、後部座席の大久保メカから補給を渡すことになった。
さらに秋丸選手が「入部さんがコーラが欲しいと言っている」と続ける。今年のツール・ド・おきなわは例年より気温が高く、選手たちもいつも以上に喉が渇いているようだ。しかし、チームカーにはもうコーラのストックがなく、この地域で唯一の売店に立ち寄ることにする。こういう臨機応変な動きも、他のスポーツにはない自転車ロードレースの興味深いところだ。
野寺監督が買い物をしている間に、メカニックたちがチームカーのタイヤをチェックする。どうやらドロップハンドルの先端につけるエンドキャップが誰かの自転車から落ちて、それがタイヤに刺さったようだ。レースは残り50km、多少空気は抜けているものの、刺さったままの状態ならゴールまで走り切れるかもしれない。
しかし、それは甘い期待だった。隊列に戻ろうとチームカーが走り出すと、先ほどまでの「パタパタ…」という音が消え、次の瞬間、明らかにクルマの挙動が不安定になった。。
路肩に止まって見てみると刺さっていたエンドキャップは抜け、タイヤの空気もほとんど抜けていた。メカニックたちがリアトランクに詰め込まれていた替えのホイールやボトルなどを下ろして、スペアタイヤと工具を取り出す。そして、大久保メカがあっというまにパンクしたタイヤのナットを緩める。
野寺監督は、他チームの監督に電話をかけ「もし、うちの選手が困っていたら水だけでも渡してほしい」と頼む。この状況でも、最優先すべきはレースしている選手たちだ。
しかし、トランクの中に肝心のジャッキが見当たらない。レンタカーなので勝手がわからず、あちこちを探しているとき、ここでも冷静だったのは野寺監督だ。ダッシュボードからクルマの説明書を取り出し、ジャッキが助手席の下に格納してあることを突き止める。
すぐさま野寺監督がジャッキアップし、大久保メカが瞬く間にスペアタイヤに交換する。ベテランの大久保メカですら「チームカーがパンクしたのは初めて」という前代未聞のハプニング。しかし、ひとりひとりが落ち着いて対応したことで、無事に切り抜けることができた。
■入部選手、渾身の走りで表彰台へ
チームカーは大急ぎで再スタートする。レース終盤に入り、度重なるアタックで集団はバラバラになっている。チームカーは途中で遅れた選手たちに補給しながら、先を急ぐ。
後でわかったことだが、シマノの選手が補給を要請してもチームカーがなかなか来ないので、そのうちチームカーがパンクをしたという情報も集団内に伝わっていたようだ。
しばらく走ると、追いついた集団に秋丸選手がいた。秋丸選手が「入部さんの情報あります?」と聞いてくる。どうやら入部選手は前の集団にジャンプしていったようで、秋丸選手も追い付いてアシストしようとしているが、ペースが早くて追いつけないらしい。
とはいえ、こちらにも入部選手の情報はない。レース無線が読み上げる先頭集団、追走集団のゼッケンには入部選手の「21番」はこれまで入っていなかった。
チームカーはこの集団を抜いて、さらに先を急いだ。集団を抜くときは審判車のサンルーフからレースを見守っている審判に監督が手振りで合図をし、前の集団に追いつく許可をもらう。
ようやく入部選手のいる20人ほどの集団に追いつくが、これがレース全体のどの位置にいるのか判別できない。野寺監督はチームカーを入部選手の横につけ、ようやくコーラを渡す。入部選手は無言でそれを受け取る。僕から見て、その表情は集中しているのか、疲れているのか、いまいち読み取れなかった。
その後もレース無線が集団内にいる選手のゼッケンを読み上げるが、入部選手の番号は呼ばれない。この集団は先頭でも追走でもなく、第3集団以下なのだろうか。「今日はダメだったかあ」と野寺監督がつぶやく。
しかし、後部座席にいる大久保メカは冷静だった。集団についている審判車(コミッセールカー)とシマノのニュートラルサービスカーの位置を見て「これが先頭だろう」と断言する。
そして、ようやくレース無線が「21番」入部選手が先頭集団にいることを伝える。大久保メカの言う通りだった。集団がバラバラになっていたので、審判団も状況を把握するのが難しかったようだ。
レースも大詰め。入部選手に優勝のチャンスがあるとわかり、チームカーの中も俄然ボルテージが上がる。
さらに、残り5kmの小さな上り坂で勝負がかかる。僕からはよく見えなかったが、野寺監督と大久保メカは「入部が行った!」と力強く叫ぶ。
その言葉通り、入部選手がアタックし、3人の外国人選手が反応。新たな4人の先頭集団が形成される。取り残された選手たちは、けん制気味で少しずつ差が開いているようだ。
「いいぞ、行け!」
野寺監督もハンドルを握りながら、入部選手に声援を送る。
その後はチームカーからレースは見えず、無線の情報だけが頼りになる。そして、ゼッケン「114番」アバンティレーシングのクリスティ選手がアタックしたところで情報が途絶えてしまった。
チームカーはゴール前でコースから外れ、朝と同じ待機場所に戻る。レースはとっくにゴールしているはずだが、入部選手の情報がわからないまま、チームカーを降りた。
その後、クリスティ選手がゴール前1.5kmでアタックしてそのまま優勝、入部選手は残る3人のスプリント争いを制して2位に入ったことがわかった。
惜しくも優勝は逃したものの、YOU TUBE用の動画インタビューをとっているときの入部選手の表情はホッとして晴れやかだった。今シーズンはコンディションが上がらず悩んだ時期もあったようだが、レベルの高い国際レースで渾身の走りができ、実力を見せられたことで自信を取り戻したようだ。
シマノレーシングとしても、今年のUCI公認国際レースで最高の成績。思わぬハプニングもあった1日だが、真夏のような沖縄の太陽の下で若手中心のチームが意地と成長ぶりを見せてくれたことは、シーズンのいい締めくくりとなった。
■ツール・ド・おきなわジュニア国際 レース・インタビュー動画
■ツール・ド・おきなわ2015男子チャンピオンレース チームカー・インタビュー動画
■ツール・ド・おきなわ2015男子チャンピオンレース 表彰台・インタビュー動画