テレビでこれまで何回も大々的に取り上げられ、新聞でもいったい何回1面のトップを飾ったことか。3文字の「汚染水」のみならず、派生語として「汚染水問題」「汚染水漏れ」「汚染水対策」「汚染水タンク」などなどと、全国にこの呼び名を浸透させるキャンペーンは、あれよあれよと知名度を高めていきました。
日本の生活者の多くは、きっと「汚染水問題」をコマーシャルではなく、ニュースとしてとらえているでしょう。しかし冷静に見つめれば、広告代理店がひねり出した名称に違いありません。なにしろ本質を包み隠すように、最初から組み立てられているからです。
科学的には、とても「汚染水」と呼べるような可愛い次元の問題ではなく、核分裂の「死の灰」が大量に流出する危機が続いています。半減期29年のストロンチウム90だの、半減期30年のセシウム137だの、半減期2万4000年のプルトニウムだの、人工的に作られた殺傷能力の高い放射性物質が、圧力容器と格納容器を溶かし環境に出て、無差別に生き物を蝕んでいます。
処理も処分もできず、出口戦略すら描けていないのが現状です。風が吹けば飛ばされるし、雨が降ればいっしょに流れるし、おまけに、冷やしておかなければ再び爆発するおそれがあるので、絶えず水を注ぎ込まなければなりません。
当然、溶け落ちた物質が地下水に触れて広がります。そんな深刻な人災を「汚染水」と軽く命名したのは、どうしてなのか?
ストロンチウム、セシウム、プルトニウムをはじめとする危険きわまりない放射性物質は、大気中に出ても土に付着しても海に流れてしまっても、取り返しがつかないのです。その実態を矮小化して、ほんの一部だけ切り離し「汚染水問題」と名付けて、さも対処ができるみたいに「汚染水対策」を連呼することで、ごまかして時間を稼いでいる。
「炉心がぐちゃぐちゃに溶けて、圧力容器が無圧力のザルと化し、格納容器も穴だらけの茶こし容器になり、近寄ることもできない放射性物質がごっそり出ちゃって手の施しようがなく、このダダ漏れ状態は止められず、手詰まりだ。現場作業員の被曝線量を度外視しない限りは、ずるずるとごまかすのが関の山」と、もし政府が正直に認めた場合、原子力と核開発の利権構造は崩れてしまいかねません。
原発海外輸出の商談はポシャるし、もちろん国内の再稼働、この愛媛の伊方原発の再稼働もできなくなります。ただでさえ回らない「核燃料サイクル」も、原子力規制委員会の「安全審査」も、噴飯ものと見抜かれてしまいます。(愛媛民報 2014.4.27付)