しのの気まぐれ日記

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内匠寮

2009年04月23日 00時27分51秒 | 資料話?付
今日は宮内省をクローズUPってことで!!
つーても工部大学校生と工部美術学校生ONLYで!!

まあ、宮内省内匠寮と言えば工部大学校一期生の片山東熊ですが、この内匠寮という組織は簡単に言っちゃえば明治以降の宮廷建築の造営・管理・修復などをする部署です。
ここは何気に工部大学校生がいたりするんだよ~。
以下、内匠寮経験者の略歴を載せますが、まあ、東熊と金吾(造家:M14卒)、あと田辺朔郎(土木:M16卒)は有名なので省略します。

◎工部大学校卒業生

藤本壽吉(造家:M13卒)
安政二年、大分県生、M13年に工部大学校を第一等及第で卒業の翌年には文部省の建物を手掛けます。
M17年10月20日に宮内省御用係、M18年12月28日に内匠寮に入る。
この後、三菱にも入っているはずなんですが何年に入社か不明。
M28年永眠
主な作品:明治会堂、箱根離宮
備考:福沢諭吉の甥(なので、そこの諭吉ファンのあなた、藤モンを調べて見ませんか!!)

中村達太郎(造家:M15卒)
安政七年生、M15年に工部大学校を第二等及第で卒業後すぐに工部省技手として営繕局勤務。
M16年皇居御造営事務所出仕。
M20年東京帝国大学工科大学助教授、M27~T10年には教授として在籍。
講義は建築構造・建築材料・建築史に加え、時代が下ると建築衛生学なども教えている。
M25~26年に欧米に留学。
M27年には震災予防審査会委員とかやってるし、その他にも建築学会初期の会務・会誌編集をしたりして、色々忙しそうだ。
建築条例実行委員会委員長として建築法令を完成させたのも、この人です。
S17年永眠。
主な作品:改良演芸会会場
主な著作:「建築学階梯」「日本建築辞彙」「火災予防、建築設備」
備考:日本構造学の祖と言われている。

久米民之介(土木:M17卒)
文久元年、群馬生まれ。
工部大学校卒業後工学士の称号を得て、皇居御造営御用係を拝命、皇居二重橋の設計・造営を担当。
工部大学校教授を務めた後、大蔵組入社し佐世保鎮守府開鑿工事に従事。
M33年に独立して久米工事事務所を設立し、日本・朝鮮・台湾の鉄道を中心とした土木工事を行う。
ただし、この人は土木にとどまらず、煙草の製造販売や生命保険会社の多角経営を展開。
M31年には代議士となり、以後も軍部の推薦を受け衆議院議員を務める。
S6年永眠。

◎工部美術学校卒業生

佐野昭(M15卒)
卒業後、皇居御造営事務局雇となり、廃局後も内匠寮に留まる。
M28年、内匠寮技手。
M31年から東宮御所御造営局技手。
M33年には、彫刻の取り調べ・暖炉前飾り購入などのため欧州へ出張。
M37年、退官。
しかし退官後も御用係として室内装飾関係業務に従事する。
備考:国会議事堂の建設時の模型担当

山口直昭(M15卒)
M20年に臨時建築局雇となり、ついで内務省土木局雇として裁判所新築工事の製図を担当(工部大学校卒じゃなくて、工部美術学校卒ですよv)。
その後、台湾総督府技手⇒兵庫県工手⇒秋田県工師をへた後。
M38年に東宮御所御造営局御用係として、設計関係業務に従事するが、M39年辞任。


そんな所かな。
東宮御所御造営局とか、今回入ってない工部大学校生とかいるので、そのうちそっちも書きますね。
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