しのの気まぐれ日記

(たぶん携帯から)つれづれなるままに書込みします。
ツッコミOK!!(カマン)
題or画像をクリックで元の大きさに。

久々にカレーうどん

2013年06月23日 21時12分04秒 | 食べ物
そういえば東京ではカレーうどん屋さんを見かけないような気がする。
それどころか、うどん屋さんもあんまり見ない?
やっぱりカレーうどんを食べるならカレーうどん屋さんで食べたいですよね。
名古屋のカレーうどんは麺が大変太くて、それに慣れているので、余所に行って食べると麺の細さに『あ、しまった』って思います。
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碧血碑の写真

2013年06月22日 06時10分16秒 | 資料話?付
函館ものでよく見かける田本研造さんの撮った碧血碑の写真ですが、現地に行った時、碑の前のスペースがそんなに無かったので、少し違和感があったんですよね。
普通に撮るともっと見上げる角度になるはずだから。




と思っていたら、同じ時に裏から撮った写真があって、前方に櫓を組んでたみたいでした。
この写真には田本さんも写っているので、撮ったのは別の人なんですよね、誰なんだろ?
ついでに田本さんは右足が不自由だったらしいのですが、この櫓に上るの怖くなかっただろうか?
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神山覚兵衛

2013年06月13日 23時21分33秒 | 資料話?付
写真の函館製マッチは神山覚兵衛さん、後の玉林治右衛門さんという方が準窃盗犯の囚人として函館懲役場に入っている時に獄中で四年ぐらい掛かって作り出したんです。
で、この人の事を調べると江戸で杉田玄瑞の門に入って蘭学を学んだ、同門には大鳥圭介等。
ってなってたんですが、圭介はいったい江戸で幾つの塾に居たんでしょう。
江川さんの所と、坪井塾以外にも、横浜のヘボンさんの所で英語習ってたとか、色々な人のエピソードの端っこに出てくるのですが、何時なのかとか、詳しいソースとかが解らなくてモヤモヤします。
どなたかご存知な事があるましたら、教えていただけると嬉しいです。
因みに、このマッチは明治十一年に黒田が事業化を決定し、翌年函館マッチ製造所を設立。
玉林さんは十三年十月五日に減刑放免、翌日の六日付で開拓使函館支庁民事課雇兼製造所主任になってました。

『兼』の字に、つい圭介を思い浮かべてキュンとしたのは内緒です。
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どこでもドアが欲しいです

2013年06月10日 21時56分43秒 | Weblog
渋沢史料館の収蔵品展が『『徳川慶喜公伝』と渋沢栄一』だった、講演会だって出来ることなら聞きに行きたいが、今遠出できないんですよね…。
収蔵品展は8月11日までやってるから、夏にはなんとかいけると良いなぁとは思っています。
あ~、めっちゃ見たい。
だってHP見た私の最初の反応↓こんなだったよ。
( ゜д゜) ・・・ (つд⊂)ゴシゴシ (;゜д゜) ・・・ (つд⊂)ゴシゴシゴシ
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31(バスキンロビンス)

2013年06月10日 20時53分47秒 | Weblog
31と言ったほうが良いのか、バスキンロビンスと言ったほうが良いのか分かりませんが、40周年記念の『4YOUR HAPPY』を食べました。
1番好きなホッピングシャワー、2番目に好きなチョコミントは外せないとして、後は新作?ってか期間限定品のカーニバルとチョコチーズケーキです。
・・・素直に定番品にしておけば良かったかも。
そういえばチョコアイス苦手なの忘れてた。
まあでも知り合いが、この4つのアイス入れるのを知った時に、『ホッピングシャワーでしょ、ホッピングシャワーでしょ、ホッピングシャワーでしょ、後ストロベリーチーズケーキかな』って言ってたのに比べれば、かなり常識的な選択だったと思います。
まあ、ちょっとソレも良いなとも思っちゃったけどね。
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鉄道一千里記念碑

2013年06月09日 13時16分25秒 | 資料話?付
北海道にある記念碑を調べてたら、釧路市にある鉄道一千里記念碑が田辺朔郎が建ててた。
北海道の鉄道が大正五年五月に延長一千里になったのを記念して、当時北海道庁鉄道部長だった朔郎が昭和二年に建てたらしいんですが、時間掛かりすぎじゃねぇ?
だって十一年も掛かってますよ。
そして昭和三十八年に解体移転になってたから、朔郎が建てたのとはまったく違うかもしれないけどね~。
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三十二年五月五日発行『太陽』

2013年06月02日 14時45分34秒 | 資料話?付
圭介の『清国に対する古今感情の変遷』(東京学士会院講演)が載ってて安かったので買っちゃった。
PCで見れるの知ってても、本形状で見たいじゃないですか。
『古今』って言ってるだけあって古代中国からの変遷ですね!
なんとなく幕末頃からな気がしてたけど・・・。
あと、この文の中でルビっていうか、文の隣に点を打ってある箇所が一箇所だけあって、それが『天津条約』だったので、『釜さん!!』って、テンション上がった(笑)

しかし、この本で1番『おぉ』って思ったのは、『明治十二傑投票』(政治家、文学家、科学家、軍人、宗教家、教育家、法律家、医家、美術家、商業家、工業家、農業家)に続く『十二詩宗投票』に圭介が載ってた事です。
圭介が当時の人に『詩うめ~』って思われてたってことですか!!
だから軸とか頼まれてたって思ってもいいですかねぇ?
まあ、十二傑とか、十二詩宗とか言いながら五十票取った人は皆載ってるんですけどね。
圭介の部分見えますかね。


なお、『明治十二傑投票』に圭介は載ってませんでしたが(どれに載っていてもおかしくないと思い、全項目がっつり見たんですけどね…)、商業家には朔朗とイチスケが、農業家にはヤジと釜さんが載ってました。
勿論商業家の一位は栄一で、政治家の一位は伊藤なんですけどね。
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