獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

佐藤優『国家の罠』その21

2025-02-04 01:04:32 | 佐藤優

佐藤優氏を知るために、初期の著作を読んでみました。

まずは、この本です。

佐藤優『国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて』

ロシア外交、北方領土をめぐるスキャンダルとして政官界を震撼させた「鈴木宗男事件」。その“断罪”の背後では、国家の大規模な路線転換が絶対矛盾を抱えながら進んでいた―。外務省きっての情報のプロとして対ロ交渉の最前線を支えていた著者が、逮捕後の検察との息詰まる応酬を再現して「国策捜査」の真相を明かす。執筆活動を続けることの新たな決意を記す文庫版あとがきを加え刊行。

国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて
□序 章 「わが家」にて
□第1章 逮捕前夜
□第2章 田中眞紀子と鈴木宗男の闘い
 □「小泉内閣生みの母」
 □日露関係の経緯
 □外務省、冷戦後の潮流
 □「スクール」と「マフィア」
 □「ロシアスクール」内紛の構図
 □国益にいちばん害を与える外交官とは
 □戦闘開始
 □田中眞紀子はヒトラー、鈴木宗男はスターリン
 □外務省の組織崩壊
 □休戦協定の手土産
 □外務官僚の面従腹背
 □「9・11事件」で再始動
 □眞紀子外相の致命的な失言
 ■警告
 □森・プーチン会談の舞台裏で
 □NGO出席問題の真相
 □モスクワの涙
 □外交官生命の終わり
□第3章 作られた疑惑
□第4章 「国策捜査」開始
□第5章 「時代のけじめ」としての「国策捜査」
□第6章 獄中から保釈、そして裁判闘争へ
□あとがき
□文庫版あとがき――国内亡命者として
※文中に登場する人物の肩書きは、特に説明のないかぎり当時のものです。

 


警告

2001年11月30日から12月2日、フリステンコ・ロシア副首相が訪日した。フリステンコ氏は、エリツィン時代からの閣僚で、プーチン大統領側近グループとはいまひとつソリが合わないので、解任されるのではないかという憶測も強かったのだが、鈴木氏はフリステンコ氏を大切にし、日露関係を発展させる上でフリステンコ副首相は最適の人物であるというシグナルをクレムリンに流し続けた。
フリステンコ氏はクレムリンのサバイバルゲームを勝ち抜き、プーチン大統領の信任を得るようになった。年齢が近いこともあるせいか、フリステンコ氏は私をとても可愛がってくれ、東京でもモスクワでも外交儀礼上は考えられないことであるが、私とサシで会ってくれた。訪日期間中、フリステンコ副首相は、毎晩、鈴木氏と懇談した。その懇談には、丹波實駐露大使、角崎利夫外務省欧州局審議官、パノフ駐日大使、ロシュコフ露外務次官などの主要プレーヤーも同席した。
その席で、フリステンコ副首相が大きな声で次のように言った。ロシア語には、丁寧語と身内の間で使う、荒っぽい表現があるが、非公式な席でフリステンコ副首相、パノフ大使、ロシュコフ外務次官といった人たちは私に荒っぽい表現を使う。私も荒っぽい表現を使う。
「サトウ、元気をだせ。人生ではいろいろなことがある。いったい何でそんな悲しそうにしているんだ」
「僕は別に悲しそうになんかしていない」そこで、パノフ大使が茶化して言う。
「田中眞紀子外相にいじめられているんだ。佐藤さんがいじめられて弱くなると、日本の交渉力が弱くなるんで、ロシアとしては都合がよいのだけれども、これは由々しき事態なんだ」
ロシュコフ次官が言う。
「佐藤さんはたいへんな愛国者だ。僕たちも愛国者だから、タフネゴシエーターでも愛国者を尊敬するんだよ。田中外相だって、もう少し経てば佐藤さんの価値をきちんと評価するよ。昔のように頻繁にモスクワに来いよ。いつだってサシで会うぜ」
フリステンコ副首相が私の方を向いて聞く。
「俺もサシで会うぜ。何とか言えよ。何で元気がないんだ」
ロシア高官達の気遣いはとてもありがたかった。こういうときに生真面目な返答をしてはだめだ。ユーモアで切り返す必要がある。
「僕は元気だ。世の中の政治家は、とてもよい政治家とよい政治家に分けることができる。橋本龍太郎、森喜朗はとてもよい政治家で、僕はとても尊敬している。フリステンコもとてもよい政治家で、僕はとても尊敬している。鈴木宗男もとてもよい政治家で、僕はとても尊敬している。それに較べて田中眞紀子はよい政治家だ。だから何も問題はない。よい外相に巡り会い、人生にはいろいろなことがあると思っているだけだ」
ロシア人はみんな大笑いした。「嫌い」という言葉を一言も使わないで、私の気持ちを率直に伝えることができた。
この時の会談記録が、後に鈴木宗男事務所から押収され、このときの会談内容についても私は取り調べを受けた。検察は何としても私と鈴木氏の間に犯罪を作り出そうとし、猟犬の如く嗅ぎ回ったのである。しかし、東京地検特捜部は犯罪を作り出すことができなかった。
私はモスクワ出張を再開した。ロシア人の友人たちはとても喜んで、心の仕事を助けてくれた。
翌2002年1月、鈴木氏は再度タジキスタンを訪問し、帰路、モスクワで森喜朗前総理と合流し、1月18日にクレムリンでプーチン大統領と会談する予定ができた。ここでちょっとした異変が起きる。
今から考えると、この時に、その後、国策捜査の対象として鈴木宗男氏、そして私が狙われる伏線が潜んでいたのだが、そのことに私は気付かなかった。正確に言うと、いくつかのシグナルが入っていたのだが、その情報の評価を私は誤ったのである。
深刻な警告は02年初め、ロシアではない別の外国政府関係者から寄せられた。
「小泉総理周辺が外交に与える鈴木宗男先生の急速な影響力拡大に危惧を抱いている。半年後に鈴木氏は政界から葬られているだろう」
それから暫くして、ある外交団の幹部が、山崎派参議院議員の実名をあげ、「この人が、鈴木宗男排除を小泉総理は決めたので、鈴木を窓口とする国は早くチャネルを変更したらよいとの話を流している」との情報が入った。
日本人情報ブローカーからも少しタイムラグを置いて、同内容の情報が入るようになった。情報の筋が一貫しているので、どこかに司令塔のある情報であることは間違いなかった。

 


解説
深刻な警告は02年初め、ロシアではない別の外国政府関係者から寄せられた。
「小泉総理周辺が外交に与える鈴木宗男先生の急速な影響力拡大に危惧を抱いている。半年後に鈴木氏は政界から葬られているだろう」
それから暫くして、ある外交団の幹部が、山崎派参議院議員の実名をあげ、「この人が、鈴木宗男排除を小泉総理は決めたので、鈴木を窓口とする国は早くチャネルを変更したらよいとの話を流している」との情報が入った。

こうして有能な外交力をもった政治家が失脚させられていくのですね。

 

獅子風蓮