獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

佐藤優『国家の罠』その35

2025-02-26 01:30:51 | 佐藤優

佐藤優氏を知るために、初期の著作を読んでみました。

まずは、この本です。

佐藤優『国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて』

ロシア外交、北方領土をめぐるスキャンダルとして政官界を震撼させた「鈴木宗男事件」。その“断罪”の背後では、国家の大規模な路線転換が絶対矛盾を抱えながら進んでいた―。外務省きっての情報のプロとして対ロ交渉の最前線を支えていた著者が、逮捕後の検察との息詰まる応酬を再現して「国策捜査」の真相を明かす。執筆活動を続けることの新たな決意を記す文庫版あとがきを加え刊行。

国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて
□序 章 「わが家」にて
□第1章 逮捕前夜
□第2章 田中眞紀子と鈴木宗男の闘い
□第3章 作られた疑惑
 □「背任」と「偽計業務妨害」
 □ゴロデツキー教授との出会い
 □チェルノムィルジン首相更迭情報
 □プリマコフ首相の内在的ロジックとは?
 □ゴロデツキー教授夫妻の訪日
 □チェチェン情勢
 □「エリツィン引退」騒動で明けた2000年
 □小渕総理からの質問
 □クレムリン、総理特使の涙
 ■テルアビブ国際会議
 □ディーゼル事業の特殊性とは
 □困窮を極めていた北方四島の生活
 □篠田ロシア課長の奮闘
 □サハリン州高官が漏らした本音
 □複雑な連立方程式
 □国後島へ
 □第三の男、サスコベッツ第一副首相
 □エリツィン「サウナ政治」の実態
 □情報専門家としての飯野氏の実力 
 □川奈会談で動き始めた日露関係
 □「地理重視型」と「政商型」
 □飯野氏への情報提供の実態
 □国後島情勢の不穏な動き
□第4章 「国策捜査」開始
□第5章 「時代のけじめ」としての「国策捜査」
□第6章 獄中から保釈、そして裁判闘争へ
□あとがき
□文庫版あとがき――国内亡命者として
※文中に登場する人物の肩書きは、特に説明のないかぎり当時のものです。

 


テルアビブ国際会議

4月5日、午後、私はテルアビブのベングリオン国際空港に到着した。
イスラエルの入国管理、セキュリティー・チェックは徹底している。イスラエル国営「エル・アル」航空を使うときには、鍵をかけないスーツケースを前日に航空会社に預け、ハイジャック検査を徹底して行う。それ以外の航空会社を使用する場合にも、空港の手荷物検査や職員による質問で2、3時間を費やすこともある。
セキュリティー・チェックの大原則は、通常と異なる行動様式に対して疑惑の眼を向けることである。2日未明にテルアビブに着いていながら、翌3日にはモスクワに向け出発し、再び5日に再入国する日本人というのは、入国管理官の常識からすると「奇妙な行動」なので、私は再入国手続きに少し手間取った。
私は空港からテルアビブ大学に直行した。5日の第一セッションは「極東の再考」だったので、その最後の部分だけでも参加できるかと思っていたが間に合わなかった。
会場に入ると、セッションは中東、中央アジアに移っていた。ちょうど立山良司防衛大学校教授が発表しているところだった。「チーム」の若い外交官たちは一生懸命メモをとっていた。会場の隅にゴロデツキー教授が立っていたので黙礼した。
そこで突然、会場の電気が消えてしまった。しばらく経っても復旧しないので、ゴロデツキー氏がコーヒーブレイクを宣言した。停電は約20分続いたが、その間に私はゴロデツキー氏と末次一郎氏にモスクワでの鈴木・プーチン会談について簡潔に報告した。
ゴロデツキー氏も日本から参加した学者たちも討議の内容に満足していた。
国際学会の内容は、ロシア情勢を把握し、日本の対露平和条約に資する対露支援戦略を策定する上で有益であった。私自身は、会議全体を聞くことはできなかったのであるが、「チーム」の若い外交官たちが詳細な記録を作成した。分厚い単行本一冊に相当する分量で、四百字詰め原稿用紙に換算すれば、約630枚になる。
この記録は外務省の関連部局、学会に参加した学者はもとより、外務省と関係の深い研究者にも配布した。この編纂作業を全て「チーム」で行ったので、メンバーは学会終了後も相当時間とエネルギーを割いた。しかし、検察によれば、本件は「佐藤被告人が腹心によい思いをさせるために連れて行った観光旅行」なのである。

イスラエルと日本の間に定期直行便はないので、フランクフルト経由で帰国した。私は空港から外務省に直行し、川島裕(ゆたか)事務次官にモスクワの鈴木・プーチン会談とテルアビブの国際学会について報告した。
川島次官の前職は駐イスラエル大使だったので、イスラエルのロシア情報の重要性をよく理解していた。川島氏は、私に「国際学会の企画はよかったな。君はほんとうによいところに目をつけたよ。イスラエルはロシアとの関係でも、アメリカとの関係でもとても大切な国だからね。今後も頑張ってくれよ」とねぎらいの言葉をかけてくれた。その2年後にこの学会が背任事件として摘発されることなど、この時川島次官は夢にも思っていなかったことだろう。
学会に参加した学者たちもその成果に大いに満足していた。
田中明彦氏は成田空港で私に「僕は朝日新聞の『論座』にコラムをもっているんだけれど、そこに今回の学会について書こうと思いますが、いいですか」と尋ねてきた。
山内昌之氏からは、4月下旬の昼、赤坂の貝作という日本料理屋に私と「チーム」の二人が招かれ、「日本は諸外国と較べ政府とアカデミズムの関係が弱い。日本のアカデミズムの力を現実に生かすためにも今回のような学会はとても有意義だった」との評価を受けた。
そして、特にこの学会の意義を強調したのは、袴田茂樹氏だった。同氏からは「同じような学会を是非また行って欲しい」という働きかけをその後何度も受けた。また、袴田氏はこの学会について2000年4月19日の読売新聞朝刊に「『自己分裂』ロシアへの対応」と題したコラムを寄稿。その中で以下のように述べている。

〈プーチン政権をどうとらえるか、また北大西洋条約機構(NATO)拡大やコソボ、イスラム原理主義の問題について、欧米やロシア、日本から専門家が多数集まって3日間熱心に討議を行った。この会議に参加した私の関心は、ロシア人が自らを世界の中でどう位置付け、欧米やアジア、日本にどのような姿勢で対応してくるかという問題であった。つまり、ソ連邦の崩壊後、プーチン新大統領の下でロシアがアイデンティティーをどこに見いだそうとしているかという問題である。(中略)
結局、日本としては第四のアプローチを探らざるを得ない。それは、ロシアが欧州でもアジアでもないということ、双方を内包した独特の国であるという認識を前提とすべきだ。その上で、ロシアが単なる欧米モデルでもアジアを内包するソ連モデルでもない、その双方の混淆(こんこう)としての新体制を構築するのに対処しなくてはならない。その体制の安定のためには、権威主義的な要素は免れないであろう。それを認めた上で、危険な独裁体制にならないよう、国際的な枠組みを構築し、また日露両国にとって相互利益的な関係を築く必要がある〉

その2年半後、私は、東京拘置所のカビ臭い独房で、私を厳しく弾劾し、「(この学会で)深められたロシア認識をどう利用するかは政策レベルの問題であり、われわれ学者の関与すべきことではないと考えています」と結論づけた袴田氏の検察官に対する供述調書を読むことになる。

 


解説
ゴロデツキー氏も日本から参加した学者たちも討議の内容に満足していた。
国際学会の内容は、ロシア情勢を把握し、日本の対露平和条約に資する対露支援戦略を策定する上で有益であった。私自身は、会議全体を聞くことはできなかったのであるが、「チーム」の若い外交官たちが詳細な記録を作成した。分厚い単行本一冊に相当する分量で、四百字詰め原稿用紙に換算すれば、約630枚になる。

こうしてテルアビブ国際会議は有意義に終えることができました。

その2年後にまさかそのことで佐藤氏に背任の容疑がかかることになるとは……

 

獅子風蓮