獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

佐藤優『国家の罠』その20

2025-02-03 01:44:01 | 佐藤優

佐藤優氏を知るために、初期の著作を読んでみました。

まずは、この本です。

佐藤優『国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて』

ロシア外交、北方領土をめぐるスキャンダルとして政官界を震撼させた「鈴木宗男事件」。その“断罪”の背後では、国家の大規模な路線転換が絶対矛盾を抱えながら進んでいた―。外務省きっての情報のプロとして対ロ交渉の最前線を支えていた著者が、逮捕後の検察との息詰まる応酬を再現して「国策捜査」の真相を明かす。執筆活動を続けることの新たな決意を記す文庫版あとがきを加え刊行。

国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて
□序 章 「わが家」にて
□第1章 逮捕前夜
□第2章 田中眞紀子と鈴木宗男の闘い
 □「小泉内閣生みの母」
 □日露関係の経緯
 □外務省、冷戦後の潮流
 □「スクール」と「マフィア」
 □「ロシアスクール」内紛の構図
 □国益にいちばん害を与える外交官とは
 □戦闘開始
 □田中眞紀子はヒトラー、鈴木宗男はスターリン
 □外務省の組織崩壊
 □休戦協定の手土産
 □外務官僚の面従腹背
 □「9・11事件」で再始動
 ■眞紀子外相の致命的な失言
 □警告
 □森・プーチン会談の舞台裏で
 □NGO出席問題の真相
 □モスクワの涙
 □外交官生命の終わり
□第3章 作られた疑惑
□第4章 「国策捜査」開始
□第5章 「時代のけじめ」としての「国策捜査」
□第6章 獄中から保釈、そして裁判闘争へ
□あとがき
□文庫版あとがき――国内亡命者として
※文中に登場する人物の肩書きは、特に説明のないかぎり当時のものです。

 


眞紀子外相の致命的な失言

一方、同時多発テロ事件を契機に田中眞紀子女史を巡る状況も変化した。
テロ事件から数時間後の9月12日未明、田中女史は、米国務省の避難先を記者団に漏らしてしまうという、致命的ミスを犯したのである。テロリストの攻撃が続く可能性があるなかで、大臣自らが極秘中の極秘事項を公開してしまったことは、日米の外交関係者に大きな衝撃を与えた。外務省では危機管理の観点から、「田中大臣には一切機微な情報を与えない」ということがコンセンサスになった。「もう一度ミスをしたらアウト、つまり、田中外相は更迭されるという密約が官邸と外務省の間でなされた」という噂がまことしやかに駆けめぐった。
こうして鈴木氏の活躍がマスメディアで頻繁に報道されるのと対照的に、田中女史の外務省内における求心力が衰えてきた。この状況に田中女史が満足できるはずがない。
鈴木宗男氏がいかにアフガニスタンやタジキスタンの外交問題に通暁していようとも外務大臣ではない。大臣は「正妻」だ。鈴木氏は「妾」にすぎない。眼に触れないところで「妾」が何かしていようとも、それはそれ程気にならない。しかし、家庭(外務省)のなかに平気で入ってくるようになると「正妻」としては我慢できない。
そういう観点からすれば、田中女史が鈴木氏そして氏と行動を共にする私を排除しておく必要性を改めて感じたとしても、不思議ではない。しかし当時、私にも鈴木氏にも田中女史の受け止めにまで気を回す余裕はなかった。9・11同時多発テロ事件という国際社会の「ゲームのルール」を変更しうる事態に直面して、日本がその主要プレーヤーになる枠組みを作ることに熱中していた。

この時期に限らず、私と鈴木氏の日常的なつきあいとは、次のようなものだった。日中、鈴木氏と30分以上のまとまった時間をとることは不可能である。鈴木事務所は陳情客や官庁から説明に来る役人であふれている。例えば、午後2時15分にアポイントをとって訪れたとしても、鈴木氏の日程は押せ押せになって、1時間くらい待たされ、そして実際に説明できる時間は2、3分しかない。
もっともこれは鈴木氏に特有のことではなく、政治力のある政治家は皆このような状態である。ロシアでも、有力政治家の事務所に約束の時間に訪れても、3、4時間待たされることは普通であった。そして、その政治家と会える時間は数分に過ぎない。もちろん、待ちくたびれて帰ってしまう客もいる。あるいは憤慨して、二度とその政治家を訪れない外交官もいる。
しかし、政治家は長時間待たせた客のことを決して忘れていたわけではない。内心では何時間も待たせて済まないと思っている。私は逆転の発想で、待ち時間が増えることは、その政治家に対して貯金をしていることと考えるようにした。
この貯金はいつか必ず利子をつけて戻ってくる。いくら待たされても不平を一言も言わない外交官にはいつしか優先権が付与されるようになり、アポイントを取らずに会えるようになり、また、私邸に招かれるようになる。このロシアでの経験を私は鈴木氏に対しても適用した。そして、同じ結果が得られたのである。私は鈴木氏の私邸に招かれるようになった。
鈴木氏は、新聞記者との懇談を週2回ということにしていたが、毎晩、私邸の前で十数名の記者が鈴木氏の帰宅を待っている。国会議員の中には、そのような時は記者を家にあげない場合が多いのだが、鈴木氏は一階の応接間に通し、ビールやワインを飲みながら懇談した。この懇談は政治部記者にとって重要な情報源である。私が記者たちと席を一緒にすることもときどきあった。後に出た怪文書では、「宗男の私設秘書ラスプーチンが、鈴木邸で毎晩記者との懇談の仕切役をやっている」と書かれたが、それは事実ではない。私の目的は、記者たちが去った後、鈴木氏に十分時間をとってもらい、説明や相談をすることであった。鈴木邸を辞去するのは午前2時頃で、それからメモを整理し、その時、鈴木氏に依頼された資料を準備する。これが終わるとだいたい朝の4時近くになる。そして、翌朝午前9時には、鈴木氏に依頼された資料を届ける。もちろん鈴木氏とのやりとりの概要は外務省の上司にも報告する。こんな毎日が続いた。これが外務省員としての私の仕事だったのである。

一方、外務省における田中眞紀子女史の“奇行”は次第にエスカレートしていった。
10月29日、田中女史が突然人事課に乗り込み、その内の一室の鍵を内側から閉め、「籠城」し、女性事務官に「斎木昭隆(さいきあきたか)を官房付に異動する」という人事異動命令書をタイプで打たせ、斎木人事課長の更迭を試みたのである。事務当局は、そのような横車は認められないと、再び田中女史と事務当局の緊張が激化する事件があった。その過程で再び私が田中女史のターゲットになった。
11月初旬のある日、鈴木氏から私に電話がかかってきた。
「今、野上(外務事務次官)から電話がかかってきた。田中の婆さんが、斎木(人事課長)の異動は諦めるから、その代わり佐藤優を異動させろということなので、鈴木先生の了承が得られるならば動かしますという話だった。俺の方からは、『今、テロで情勢がこんなに動いている中で佐藤を動かすことがどういう意味をもつかわかっているんだろうな。野上さん、あんたが言うのは、斎木はダメだが佐藤さんは構わないということか』と言っておいた。
野上は『佐藤を動かすことは今のところ考えていない』と言っていたが、『佐藤も今のポストに相当長いのでいつかは異動させなくてはなりません』という話だった。 野上は、『勿論、田中大臣の勝手にはさせません』と言っていた」
私は鈴木氏からの電話の内容を直ちに分析第一課長と今井正国際情報局長に伝えた。
局長室から戻ってくると事務次官室から「野上次官が至急お呼びです」という電話がかかってきた。野上氏とサシで話すのははじめてのことである。次官室に入ると、髭面で、身頃は水色、袖と襟は白色のワイシャツを着た野上氏が執務室の椅子に座ったまま、その前にある事務用椅子にすわるように私を手招きした。
「婆さん(田中女史)が君を異動させろと暴れている。何か聞こえているか」
「鈴木大臣から先程、電話がかかってきました」と言って、私は鈴木氏からの電話の内容を正確に再現して伝えた。
「だいたい正確だ。ただし、俺は鈴木さんの了承が得られれば動かすなんていうことは言っていない。君ももうこのポストが長いので、いつかは動いてもらわなくてはならない。しかし、俺にも君にもプライドがあるからな。婆さん(田中女史)の言うなりにはならない。君自身、人事について何か希望はあるか」
「私は組織人です。組織が決めたことに従うだけです。私個人の希望はありません。国益のために私をどう使ったらいいかというのは組織の考えることです。ただし、私にはプライドはありません。侮辱されようとどうしようとそれが組織として国益に適うと考えれば、それでよいのです」
「いや、俺たち外務省員のプライドが大切なのだ。田中大臣なんかに負けられない」
「その点について私は意見が違います。プライドは人の眼を曇らせます。基準は国益です」
「わかった。いずれ動いてもらうことにはなるが、当面は今のままだ。いいな」
「それからこの話は、課長にも局長にもするな」
「それはもう遅いです。鈴木さんからの電話の内容は直属の上司である課長と局長には話してあります」
野上氏は困ったように顔を歪め、右手を後頭部にあてた。
「今後は、誰にも話さないでくれ」
私は、「はい」と答えたが、野上次官とのやりとりについては、課長、局長に正確に伝えた。これに対して、今井正国際情報局長は「嫌な雰囲気だね。佐藤さん、いざとなると自分の身は自分でしか守れないからな。残念ながら、そういう組織なんだ。外務省は」と淋しそうにつぶやいた。
その日の夜遅く、私は鈴木氏とホテルでざっくばらんに私を巡る状況分析をした。
9・11以降、田中眞紀子女史と官邸の関係が緊張し、官邸と外務省事務当局が接近するという形で情勢に変化が生じたので、この機会に鈴木氏の影響力を削減することを外務官僚は考えている。しかし、鈴木氏の政治力は今後も利用したい。そのためには、鈴木氏に情報を提供し、相談相手になっている佐藤を鈴木氏から遠ざけ、鈴木氏が外務官僚の立てたシナリオにおとなしく乗るようになることを望み種々の画策をしているのではないか――というのが私と鈴木氏のとりあえずの見立てだった。
私は、外務省幹部の職務命令に基づいて鈴木氏との連絡係をつとめているのだが、外務省内部には私を鈴木氏から遠ざける動きもある。外務省がアクセルとブレーキを同時に踏んでいると考えた。
それから半月ほど経ってから、鈴木氏から電話があった。
「今日、田中大臣が俺のところを訪ねてきて、『私、佐藤さんを異動させろなんて言っていませんからね。鈴木先生、誤解しないでくださいね』と言ってきた。実は、この前の野上の話が田中眞紀子の耳に自然に入るようにとある政治家に流しておいたのだが、うまく聞こえたようだ」

 


解説
一方、外務省における田中眞紀子女史の“奇行”は次第にエスカレートしていった。
10月29日、田中女史が突然人事課に乗り込み、その内の一室の鍵を内側から閉め、「籠城」し、女性事務官に「斎木昭隆(さいきあきたか)を官房付に異動する」という人事異動命令書をタイプで打たせ、斎木人事課長の更迭を試みたのである。事務当局は、そのような横車は認められないと、再び田中女史と事務当局の緊張が激化する事件があった。その過程で再び私が田中女史のターゲットになった。

田中眞紀子は、「斎木の異動は諦めるから、その代わり佐藤優を異動させろ」と迫ったという。
外務大臣としてはろくな仕事もせず、省内をかき乱して、とんでもない婆さんですね。

 

獅子風蓮