以前、増田のおばあちゃんに関連して、有料サイト「すたぽ」の紹介をしました。
音声記録のみの【友岡講演2】ですが、これがなかなかいいんです。
友岡さんの貴重な、生の声が聴けます。
この講演の最後の方に、おそらくこの増田のおばあちゃんのことを話しているところがあります。
感動します。
というわけで、反訳をこころみましたので、かいつまんで要約をお届けしたいと思います。
Salt83 -【友岡講演2 2/8】 釈尊の遺言(2021年7月26日投稿)
「友岡講演2」(2)釈尊の遺言
一人の人間の力には限りがあると言われるが、 いつも困難な時代を拓いてきたのは、一人の小さな革命である。
何者にも負けない、屈しない。
本当の力とはどこから湧き出でてくるのか?
友岡雅弥氏が所属する団体において講演された貴重な音声を8回にわたって連載させて頂きます。
今回は第2回目です。
(文章は適宜要約してあります)
さあそれで、(お坊さんが)生きてるおばあさんのところに来るわけですよ。
で、どんなことをするか。
村の人、兄弟、親戚……集まっています。
そこで、言うんですね。
このおばあさんとの一番の思い出を語ってください。
__私は、お父さん、お母さんがいませんでした。このおばあさんが私の親代わりになってくれた。こんなことも、あんなこともしてくれた。
__親から捨てられた私はみんなからいじめられました。その時このおばあさんは私を助けてくれたんです。
いろんな思い出を、みんなが語る。
そうするとおばあさんは、それまで苦しそうだった息が、だんだん楽になっていく。
(生きててよかった。自分の人生はこんなだった。みんなのためになった。もう悔いはない)
ということで、本当に、満足しきった顔になる。
そして、
__みんなありがとう。ありがとう。
っていって、満足して息をひきとっていくのです。
そうするとお坊さんが、
__以上で私の仕事は終わりました。これで帰らせていただきます。
釈尊の遺言があるんでしょ。
これNHKで流れたんです。
一番最後の言葉っていうのは「弟子たちよ、たゆむことなく前進をすすめよ」ですね。
その直前の言葉。
「けっして僧侶は葬式を行ってはいけない」
これが死ぬ間際の言葉です。
(中略)
これがNHKで流れたんです。
もう、すごい反響。何万通。
日本の仏教は仏教とちゃうかった。
日本の仏教は、お葬式だけ、お坊さんがやってくる。
本来の仏教は、お葬式だけ、お坊さんがこない。
生きていく最後の瞬間までお坊さんが励まし励まし。
そのお坊さんが言うんです。
__この中で、遺族の中で、おばあさんが死んだということで何か引っかかることがあるかもしれない。しばらくたってから悲しみが襲ってきます。
その時には、私を呼んでください。
その時は、私が話し相手になりましょう。
いいですね。
生きて生きて生きていく人のためにあるんです、仏教は。
日本の仏教は、葬式のときだけ中心を占める。
正反対だったんですね。
という反響がものすごくありました。
とともに、当然のことながら、……千通を超える嫌がらせの手紙もきました。
多くが僧侶からの手紙です。
商売あがったりやないか、と。
なんでそんな変な放送するんやということで。
で、これを作った人間たち、ぼくの元同僚ですから。
彼から電話がありました。
京都大学の人文系の助教授やってますけど。
藤井っていう。
__やればやるほど、創価学会っていうのが、もともとの仏教だっていうのがよく分かるっていうんです。
創価学会はご存知の通り、葬式にはお坊さん呼びません。
世間の人はいいます。
__なんで葬式にお坊さん呼ばへんのや。
違うんです。
釈尊がそう言うてるからなんです。
仏教なら、釈尊がいうようにしないと。
で、藤井くんから電話があって、やればやるほど、創価学会っていうのが、仏教の本来の精神を今に復活しているっていうのがよう分かるって、電話がかかってきました。
【解説】
友岡さんは立場上、僧侶を呼ばない学会葬を自画自賛しますが、そんなに素晴らしいことでしょうか。
僧俗和合時代の葬式を、かつての創価学会員は受け入れて支持していたわけですよ。
(私たちの宗教は新興宗教ではない。伝統仏教なんだ)
と。
釈尊の時代の僧侶と葬式の関係を絶対視して、現在の仏教を「葬式仏教」と批判するのは、手前勝手すぎるような気がします。
別に、釈尊にならって学会葬を始めたわけではないでしょう。
宗門から破門されて、仕方がないので、自前の葬儀の形式を決めただけでしょう。
獅子風蓮