獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

増田弘『石橋湛山』を読む。(その14)

2024-04-04 01:11:12 | 石橋湛山

石橋湛山の政治思想には、私も賛同します。
湛山は日蓮宗の僧籍を持っていましたが、同じ日蓮仏法の信奉者として、そのリベラルな平和主義の背景に日蓮の教えが通底していたと思うと嬉しく思います。
公明党の議員も、おそらく政治思想的には共通点が多いと思うので、いっそのこと湛山議連に合流し、あらたな政治グループを作ったらいいのにと思ったりします。

そこで、石橋湛山の人生と思想について、私なりの視点から調べてみました。

まずは、定番というべきこの本から。

増田弘『石橋湛山』(中公新書、1995.05)

目次)
□はじめに
□第1章 幼年・少年・青年期
□第2章 リベラリズムの高揚
■第3章 中国革命の躍動
□第4章 暗黒の時代
□第5章 日本再建の方途
□第6章 政権の中枢へ
□第7章 世界平和の実現を目指して
□おわりに


第3章 中国革命の躍動――1920年代
□1)小日本主義
□2)満州放棄論
■3)ワシントン会議...一切を捨てる覚悟
□4)中国ナショナリズム運動... 「支那」を尊敬すべし
□5)山東出兵...田中サーベル外交は無用
□6)北伐完成後の満蒙問題... 危険な満蒙独立論

 


3)ワシントン会議...一切を捨てる覚悟
大戦後のヨーロッパと東アジアでは旧秩序が払拭され、新秩序が模索されつつあった。アメリカのハーディング (Warren Harding) 新政権は、列強間の軍備拡張競争や日英同盟継続問題とともに、日米間の諸懸案、たとえば山東および満蒙問題、シベリア出兵問題、日本移民問題などの同時解決を目指して、1921年(大正10)夏、関係諸国をワシントンに招請することを決定した。これに対して日本側の反応は否定的であった。政府も軍部もマスメディアもパリ平和会議でわが国が窮地に陥った体験を忘れていなかったからである。そこで政府はアジア・太平洋問題を議題から切り離し、軍縮問題に限定するよう逆提案したが、アメリカ政府が日中両国に対する公平不偏の態度を約束したため、出席を応諾した。結局会議は日米英仏伊五大国のほか中国など計9ヵ国が参加し、同年11月から翌年2月まで討議が行なわれ、中国に関する9カ国条約、太平洋に関する4カ国条約、海軍軍縮に関する5カ国条約など5条約と13決議が採択された。

さて湛山は多くのマスメディアとは対照的に、アジア・太平洋ならびに軍縮会議開催のニュースを朗報と受けとめ、積極的姿勢を示した。7月下旬、彼は早速三浦ともども社内に「太平洋問題研究会」を設置した。この研究会は尾崎行雄らが作った軍備縮小同志会、東京帝大七博士らの国策研究会と同列に位置し、湛山や三浦が日頃懇意とする進歩的な政治家や知識人らを集めており(座長は国民党代議士鈴木梅四郎で、同党の田川大吉郎、植原悦二郎両代議士も参加した)、実質的に湛山が運営に当たった。
ワシントン会議に向けた湛山の基本的考え方は、日本が一切を棄てる覚悟をもって中国と提携することであった。つまり「弱小国に対して、この『取る』態度を一変して、『棄つる』覚悟に改めよ、即ち満州を放棄し、朝鮮台湾に独立を許し、其他支那に樹立している幾多の経済的特権、武装的足懸り等を捨ててしまえ、そして此等弱小国と共に生きよ」(7月30日号社説「支那と提携して太平洋会議に臨むべし」『全集④』)、「大欲を満すが為めに、小欲を棄てよ」(7月23日号社説「一切を棄つるの覚悟」『全集④』)との心構えを必須とした。なぜか。今後は「如何なる国と雖も、新たに異民族又は異国民を併合し支配するが如きことは、到底出来ない相談なるは勿論、過去に於て併合したものも、漸次之を解放し、独立又は自治を与うる外ない」からである(前掲社説「大日本主義の幻想」)。
ではなぜ日中両国はこの会議で提携しなければならないのか。「支那と日本とは、融和し、交驩(こうかん)し、提携するのが、地理上、歴史上、国際関係上順であり自然である。……若し我国が、支那の納得し、信頼し得る如き態度に復(かえ)れば、蓋し等反作用(イクオール・リアクション)の理由により、支那は大に喜んで、固く我国と握手し提携するのが、極て自然」だからである。
では日本が一切を捨て、中国と提携した場合の利益とは何か。
第一に、「(日本が)英米から袋叩きにさるべき理由は全く消滅すると同時に、局面は一転して、印度を領有し、白人濠洲を作り、メキシコを圧迫し、有色人種を虐げ、菲律賓(フィリピン)やグアムを武装して極東を脅威している英米が、遂に詮議せられる位地に立たねばならぬ」(前掲社説「支那と提携して太平洋会議に臨むべし」)。 
第二に、「支那は広い。満蒙は、其広い支那の一局地、而かも、経済的に最も不毛な一局地だ。之を棄つることに依って、若し支那の全土に、自由に活躍し得るならば、差引日本は、莫大な利益を得る」(前掲社説「軍備の意義を論じて日米の関係に及ぶ」)。「台湾にせよ、朝鮮にせよ、支那にせよ、早く日本が自由解放の政策に出づるならば、其等の国民は決して日本から離るるものではない。彼等は必ず仰いで、日本を盟主とし、政治的に、経済的に、永く同一国民に等しき親密を続くるであろう」(前掲社説 「大日本主義の幻想」)。
ところがわが政府は大局が見えておらず、この覚悟も一向になく、「依然として支那を袖にして、英国に縋り米国と諒解を得ようとしている。何たる事大主義の陋態だろう」(前掲社説「支那と提携して太平洋会議に臨むべし」)と湛山は慨嘆せざるをえなかった。
ワシントン会議に向けた湛山のもう一つの主張、それが軍備撤廃論であった。満州放棄の軍事的論点に示されたとおり、湛山は日本のみならず世界の強国すべての軍拡競争に批判的であった。まず湛山は国防の理解において一般世論と鋭く異なっていた。すなわち湛山は、日本が満州など植民地を確保しなければ国防的に自立できないとの一般的見解を「幻想である」と斥け、他国を侵略する意図もなく、また他国から侵略される恐れもないならば、警察以上の兵力は無用であると論断した。むしろ、中国やシベリアといったわが海外領土をめぐる日米対立こそが戦争勃発の危険性をもたらしていると世論に訴えた。とはいえ、米国は日本の「極東独占政策」を理由に日本と戦闘する意志はなく、ただ中国や極東問題に関与するための軍事力を求めているにすぎず、米国の目的はバランス・オブ・パワー(勢力均衡)にある、としてその基本姿勢を擁護した。ただし湛山は、バランス・オブ・パワーとは「戦争をするのが目的でないが……ぐずぐず云えば、直ぐにも砲火を開くぞと云う、競合いの状」であり、米国がそのような態度を取るにいたったのは、日本がこの方面を独占しようとしたからであり、根本的原因は日本側にあると指摘した(前掲社説「軍備の意義を論じて日米の関係に及ぶ」)。

ではどうすればよいのか。湛山は善後策として、第一に、日本が全植民地を放棄し、極東独占政策を撤去すること、つまり、中国、シベリアを「我縄張り」とする野心を棄て、満州、台湾、朝鮮、樺太等も「入用でない」という態度に出ることを挙げた。となれば、戦争は絶対に起こらず、わが国が他国から侵略されることも決してない。 「論者は、此等の土地を我領土とし、若しくは我勢力範囲として置くことが、国防上必要だと云うが、実は此等の土地を斯くして置き、若しくは斯くせんとすればこそ、国防の必要が起るのである。其等は軍備を必要とする原因であって、軍備の必要から起った結果ではない。然るに世人は、此原因と結果とを取違えておる」(前掲社説「大日本主義の幻想」)。
第二に、日米両国が軍備を撤廃すべきである。つまり、「米国は、太平洋上に大軍力を備うるの要なく、日本も亦之に対抗する用意を整うる要がない」状態の下に、軍備撤廃を実現すれば、日米の衝突は避けられる。それゆえ湛山は、来るべき海軍軍縮会議で中途半端の制限を決定すれば、単に軍拡競争の時間を幾分か引延ばす程度の効果しかもたらさないと警告した(前掲社説「軍備の意義を論じて日米の関係に及ぶ」)。
そして第三に、日本は英国の「極東の番犬」から脱却し、日米協力して極東の「最大障碍」である英国勢力を排除すべきである。湛山によれば、極東・東南洋における日米の利害は、日米貿易関係が年々増大しているとおり、元来衝突するものではなく、しかも米国が要求する「極東の経済的解放」によって最大の脅威を受けるのは、実は日本ではなく英国であった。日本はただ満蒙の利益を失うだけであるが、英国は広大な中国全土の大半を勢力範囲としているからである。「日本は日英同盟に依り、満蒙乃至北支に勢力を張ることを黙認せらるる代償として、此英国の支那における利益を防衛して」おり、だから日本は「東洋の番犬」といわれ、米国が日本を目の敵にする。したがって、英国勢力こそ極東から除かれるべきであり、この点で日米の利害は一致するのが「本筋」で、衝突するのは「間違いであった。そこで湛山は会議に臨み、「日本は極東開放政策を取りて、米国と手を握れ。……太平洋は、斯くて初めて、永遠に太平なるを得よう」と説き、日英同盟廃止を必然とみなしたのである(前掲社説 「軍備の意義を論じて日米の関係に及ぶ」)。
さて研究会では、湛山が起草した原案について討議を重ねた末、9月に勧告文を作成した。それが「軍備制限並に太平洋及極東問題に関する会議に就ての勧告」である(これは『新報』9月24日号社説として掲載された。『全集④』)。すなわち、会議を「世界に永久平和を確立すべき絶好の機会である」と位置づけ、①国際争因の根本的除去に努むべし、②経済上の機会均等主義を世界的に確立すべし、③経済上の門戸開放を世界的に徹底せしむべし、④支那、シベリア及メキシコ等に対する干渉を絶対に撤去すべし、⑤一切の関係問題を討議すべし、⑥軍備は撤廃の方針を取るべし、との勧告を提示した(本文は省略)。これら6項目は、全文にわたり湛山の多年の主張 が盛り込まれていた。またそれは単に日本全権団への勧告に止まらず、全参加国に向けた勧告の形式を取っている点に特徴があった。そして湛山らはこの勧告文を和英両文の小冊子に作成し、これを9月に国内はもちろん、アメリカ等にも配布した。なおメンバーの田川は、会議視察のために渡米した。

では湛山グループの提言は、どの程度の影響を及ぼしたであろうか。憲政会総裁加藤高明は、「世上或は支那に於て有する特権を悉く還付すべしとなす淡泊なる人あるも、若し斯の如くんば、日本は何の為に支那と戦い、何の為に露西亜と戦ったのであるか」と演説している(10月1日号社説「原氏及加藤子の対華府会議意見を評す」『全集④』)。「淡泊なる人」とは湛山らを指した言葉であったろう。また熱心な軍縮論者の尾崎行雄でさえ、「壮丁百万の血をそそぎ、二〇億の国費を費やした満州を、今日放棄するというごときことは祖先に対して申しわけない」という主張であった。湛山自身、「当時においては、こんな議論は一平和主義者の空論にすぎず、一般には受け付けられなかった」と述懐している(前掲『湛山回想』187~8頁)。
結局会議では「九ヵ国条約」が成立し、中国の主権・独立の尊重、機会均等、門戸開放、内政不干渉の四原則が列国により公認されたとはいえ、日米英三大国は旧来通り中国利権の確保を計り、台頭する中国の排外的民族運動を抑制する態勢を取った。同時に日本は、アメリカの現実的対応もあり、「21ヵ条条約」廃棄を主張する中国側の攻勢を凌いで、満州権益の保持に成功した。つまり湛山の満州放棄の主張は挫折したわけであり、ここにワシントン新体制に対して不満を残すことになる。したがって、九ヵ国条約体制では真の中国問題の解決とはならないと湛山は認識せざるをえなかった。
一方、日英同盟問題と軍縮問題に関しては湛山の予想通りとなった。日本政府は日英同盟の存続を希望していたが、結局米仏両国が加入して事実上日英同盟を葬り去る「四カ国条約」が成立した。湛山が同盟の廃止を肯定したことはいうまでもない(12月10日号小評論「四国協定」ほか『全集④』)。また湛山は、11月12日の会議開幕直後のヒューズ (Charles Hughes) 米国国務長官(議長)が187万8034トンに及ぶ66隻の海軍主力艦の廃棄と、米・英・日3国の海軍保有量を5・5・3の比率に定めようとの大胆な提案を行なうと、「衷心から歓喜」し、そのためわが財政は、年々2億6、7千万円の歳出を減ずると全面的に評価した(11月19日号小評論「財政前途容易」ほか『全集④』)。しかし国論は海軍側の7割保有説へと傾きつつあった。これに対して湛山は、この7割説は「何等確実なる根拠は無い」と反駁し、「日本は仮令七割の 海軍を有するも、断じて米国と戦うことは出来ぬ。否、十に対して十の海軍力を有するも不可能である。果して然らば、何を苦んでか、一割の差を争って、華府(ワシントン)会議を停頓せしめ、我国際的位地を危うするや」と論じ、日本政府と国民の反省を願った(12月3日号社説「海軍七割主張無根拠」『全集④』)。
結局日本側はハワイ以外の軍事要塞化をしないなどの譲歩を米国から得て、対米英六割を規定する「五カ国条約」に1922年(大正11)2月6日、調印した。湛山は、会議が紛糾した「根本原因は、実は我日本にあると思う。米国政府が、彼の大胆な主力艦制限提議をした時に、日本が直ぐ様之を納れ、其気勢を挫かなんだら、ワシントン会議は、もっとトントン拍子に進行し、防備問題にも、斯んな苦情の入る隙は起らなんだに違いない。日本は実にワシントン会議に対し、将来の世界の平和に対し、大なる罪を犯した」と日本の基本姿勢を改めて批判し(1月21日号小評論「防備制限区域」ほか『全集④』)、「我外交の非常な失敗であることが、漸次明白となりつつある。云わぬ事ではなかった。一切を棄つるの大覚悟が欠けていた為めである」と総括的に論評した(1月28日号小評論「陸軍の陸軍改造案」ほか『全集④』)。
他方、国内の軍部・政界・言論界などではワシントン諸条約への反発を深め、1924年(同13)5月に米議会で排日移民法が可決された(7月施行)ことも加わって反英米・反白人感情を潜在化させたが、湛山は彼らとは対角線上に位置しつつ、新体制に批判を強めていく。

 


解説
このように、湛山は、日本が一切を捨て、中国と提携することを説いたのです。
しかし現実には、第二次世界大戦に負け、日本は全ての植民地と権益を失いました。
それでも、戦後の経済成長を遂げることができました。
ただ、日中関係はぎくしゃくしたままで、世界には戦争が無くなっていません。

湛山のいうように、戦争前に、日本が一切を捨て中国と提携していたら、誇り高くお互いを尊敬する両国関係が築かれ、世界の他の国々にも計り知れない恩恵をもたらしたことでしょう。
戦争のない、平和な世界がもたらされていたかもしれません。

それにしても、湛山の見識の鋭さに驚嘆します。

 

獅子風蓮



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