獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

石橋湛山の生涯(その86)

2024-10-22 01:19:07 | 石橋湛山

石橋湛山の政治思想に、私は賛同します。
湛山は日蓮宗の僧籍を持っていましたが、同じ日蓮仏法の信奉者として、そのリベラルな平和主義の背景に日蓮の教えが通底していたと思うと嬉しく思います。
公明党の議員も、おそらく政治思想的には共通点が多いと思うので、いっそのこと湛山議連に合流し、あらたな政治グループを作ったらいいのにと思ったりします。

湛山の人物に迫ってみたいと思います。

そこで、湛山の心の内面にまでつっこんだと思われるこの本を。

江宮隆之『政治的良心に従います__石橋湛山の生涯』(河出書房新社、1999.07)

□序 章
□第1章 オションボリ
□第2章 「ビー・ジェントルマン」
□第3章 プラグマティズム
□第4章 東洋経済新報
□第5章 小日本主義
□第6章 父と子
□第7章 政界
□第8章 悲劇の宰相
■終 章
□あとがき


終 章

(つづきです)

湛山の「日中米ソ平和同盟」の提案を裏付けるように、キャンプ・デービッドでアイゼンハワーとフルシチョフによる米ソ首脳会談が行なわれた。これは冷戦の雪解けを象徴する画期的な会談と言われた。
湛山は昭和35年(1960)1月、渡米する岸に手紙で、
「日米両国は日本と中国の国交正常化のために協力することと、アジア安定のために、日中米ソ印の五カ国会談開催を提案し、アイゼンハワー大統領の同意を得てほしい」
と、依頼した。だが、岸は否定的な態度であった。
この年、今度はアイゼンハワー大統領の訪日が政治日程に上がると、「安保反対岸退陣」の声が湧き上がり、全国で抗議デモが起きた。国会前では東大文学部の女子学生が警官隊との衝突で死亡する事件まで発生した。アイゼンハワー来日を自らの保身と政権維持に利用しようとした岸は、女子学生死亡という犠牲を出しても反省するところはなかった。
「石橋先生が健在であってくれたなら」
良識派とされる自民党議員は、岸内閣のあり方に失望していた。
この年の6月19日午前零時、33万人が国会を包囲する中で新安保条約が自然成立した。だがアイゼンハワー訪日中止が、岸退陣の引き金になった。

(つづく)


解説

「石橋先生が健在であってくれたなら」
良識派とされる自民党議員は、岸内閣のあり方に失望していた。

石橋内閣が短命に終わらなければ、日本の政治状況は現在とはずいぶん違うものになっていたことでしょう。


獅子風蓮



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