「県政オンブズマン静岡(静岡県庁の光と闇)~よりよき未来のために~」管理人のブログ

注)teacupブログから移転の2022年5月以前の投稿には、文字コードの違いから多くの文字化けがあります。

敗北したのは

2008-01-28 23:57:43 | 日記
我々は個人的関心、すなわち自分の位置に関係した認知を離れて社会的に公正な判断を下すことができるのか。
問題がきわめてシンプルな場合、たとえば犯罪性のあるものの是非については可能だろう。
しかし、問題の原因、因果関係、価値観などが複雑に絡み合って、あたかも二次方程式が三次、四次方程式と次元が増えるに従い、人々の回答は拡散し、個人的関心が判断の主要な地位を占めることになっていく。
一方、複雑で自身の関心を離れたところの問題に関してはどうか。
「人々はたとえそれが認知的に無意味なものであっても説明らしきものが与えられればそれに従う傾向がある(思考無介在行動)」とランガーが指摘しているように個々社会的問題に国民一般が公正な判断を下すことは困難であろう。

そういう意味においても、衆愚政治の危険は民主主義と表裏一体であることになる。

昨年は、年金が世論を大きく動かした。身近な問題であって、しかも為政者側のその説明には一貫性、正確性、倫理性を欠き、単純に信頼性を欠いていたからだ。
一方、かつての郵政は決して身近な問題でなく為政者の説明らしき説明に、嗜好に依拠した思考無介在行動が現れたものだ。
身近な問題でなく高度に政治的であった給油継続問題も同様と考えられる。

では今回の身近ではあるが複雑な構造・因果をもっているガソリン・道路問題はどうか。

我々はこれまでそういった複雑な問題に対して答えを導く訓練(経験)をしてこなかった。
しかも、信頼を失った為政者の下で、個々の利害を前面に出し詭弁を弄す対立を目の当たりにして、なお、個人的関心を離れて社会的に公正な判断を下せるほどの寛容さはないだろう。

先日の通常国会の冒頭演説で「もはや日本は『経済は一流』と呼ばれる状況ではなくなった」といった大田弘子経済財政担当相の危機感を同僚の大臣や政治家はどこまで理解できただろうか。
もはや、単純に彼らに任せてはおけない。
国民が望むのは普通の感覚を持った者から発せられる問題解決の前提となる真実だ。
大阪府知事選は職業政治家と政党の敗北である。

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