まほろば俳句日記

毎日見たこと聞いたこと感じたことを俳句にします。JーPOP論にチャレンジ。その他評論・エッセー、学習ノート。競馬も。

句集を出すことの大切さ/新俳句日記

2015-10-17 01:51:17 | 日記
きのう金曜は予想通り18度までしか上がらなかった。今日も最高18度となっているが、雨の降る時間が短ければ20度になるかもしれない。11月に入って紅葉が始まると、さらに下がっていくに違いない。現在すでに気温の低下についてゆけず、身体に変調を来している。今月中にやっておかなければならないことが山積みされている。俳句はとにかく書き溜めしていけば自ずと答えが出る。まだ全体のレベルを上げる段階ではない。これまでおざなりにして来た他人の句や評論を読むことが必要である。①芭蕉が作り上げたこと、②それが子規・虚子らの近代俳句にどう受け継がれたか、③新興俳句の3点が第一段階である。第二段階は戦後俳句の出発(伝統・前衛の相克)と70年代以降の新しい展開、特に攝津幸彦らのアニと坪内稔典の船団が何をしようとして何を達成出来たのか、あるいは出来なかったか。これらに本当に中途半端に関わって来たので、明らかにならないと毎日の句作や俳句をめぐる思策の足枷になってしまう。それとこれらに関わりのない人間関係、つまり句会などの《座》は時間とカネの無駄で出来るだけ省きたい。私の所属する結社は関西のみのところで、その他の会員・同人誌も遠隔地のものである。ただ句や文章を送るだけで済む。この幸運を大切にして廃刊まで付き合いたいと思う。35年前に最初の入門をした時、近場でアレコレと無駄が多く、そのあげく積み上げた何もかもを捨ててしまうハメに陥った。結局、句集も出さず終いだった。作品や掲載誌も全て散逸してしまった。形に残ったものと言えば、拙作11句が収められた塚本邦雄編の『句句凛凛ー星曜秀句館』(季節社)という限定部数の出版物のみである。それもすでに手許には無い。句のレベルに関係なく句集を出しておくことは何より大切なことである。今後1年くらいかけてブログに書き溜めてあるものから300句程度を抽出する作業を少しづつ始めてゆきたい。・・・《続く》