基本的にSFファンで、劇画の登場により漫画は大人も読むものとして認められつつあったが、「アニメは子どものもの」という風潮の中で育った。「しらけ世代」と言われた世代にあって、成人後も趣味的に漫画を描いたり、漫画・アニメ・SFを特に好み玄人はだしの評論を行う一群が現れ、彼らはマニアと呼ばれた。彼らが開催したSF大会や日本漫画大会などは、その後の同人誌即売会に繋がる文化の先駆けとなった。 ウイキペディア『おたく』〈プレおたく世代ー1950年代生まれ〉より
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かろうじて私もオタクの一員【プレおたく世代】に加えてもらえそうだ。60歳になる直前に俳句に再入門(以後3年4ヶ月)したが、最初の入門は20歳代半ば過ぎの頃(6年ほど)であった。現代のオタクたちがアニメや漫画、ゲームに熱中する替りに、私は俳句という年寄り臭いものにあえて飛び込んだと言えなくもない。その酔狂さがいかにもマニアックであった。しかし、元々70年安保世代【団塊の世代】の追っかけ(これもオタク臭がプンプン)だったこともあり、吉本隆明や新左翼専門誌「情況」を愛読していた。70年代の後半に入ると政治の季節は完全に去り、「現代思想」誌や村上龍・春樹などの小説に熱中した。さらに忘れてはならないのが、キリギリス世代=しらけ世代の最大のバックボーンとなっていたニューロックやジャズ(古典からフリー、70年代ニューエイジまで)に70年代の最後まで耽溺していたのも私たちプレおたく世代(1950年代生まれ)の特長である。その結果、正規の就職も出来ず、元祖フリーター・ニートや引きこもり(ピーターパン症候群~モラトリウムの世代)を自認せざるを得なかった。・・・《続く》
その図面直す価値なし浅き春 芭蕉無き曾良茫として春浅し 浅春やまだ間に合うというお告げ ものを見てものから離る春浅し 船長の火焔地獄か春浅し(船焼き捨てし/船長は// 泳ぐかな 高柳重信) 浅春の扉は閉じられて力持つ 春浅し外国人参政権無用なり 浅春や認知症の師まういらぬ 無知蒙昧まさに俳人春浅し 九条を捨ててこの春浅からず 浅春の亡母に見せたき空一つ 忘却とは人喰らふこと春浅し 天王寺野外大音楽堂春浅し(春一番コンサート1971~) もいちど亡母と会えぬものかと春浅し