母の日の母の不在を訝しむ(5月14日) 母の日や母を送りし日の迫る 母の日に母になりきる妻も無し 母の日や大正に生まれ昭和に死す 母の日や母さんのうた口ずさむ 母の日の母岸壁を去りしとき 母の日の捨てるを知らぬゴミ屋敷 母の日や仕事は辞めたと母来る 母の日の位牌の他は何も無し シングルマザー母の日最も光ます 母の日の誰彼となく掌を合はす 母の日や戦争はもうこれっきり 母の日のシュークリームひとりで喰い尽す 母の日の母の無き子を愛しめり 母の日の母と母とが生き映し 母の日や母はこの世のものと知る
私が最初に俳句に入門したのは38年前のことで、まだ20歳代半ばのことだった。それまでに現代詩や短歌、歌詞などに関心を持ち続けていたので、あまり違和感は無かった。そして、現代俳句の世界にも当然ながら70年安保世代が確実に存在した。俳句とは俳句批判の《場》であり、俳句を批判することで古い自分自身を否定し、俳句形式を新しい自分の拠り所とすることを彼らは目指していた。彼らとは【団塊の世代】と呼ばれたが、彼らの2世である【団塊ジュニア】が現代の俳句の世界で頭角を現し始めている。その一人に「火星」他同人の涼野海音さんがいる。彼について知っていることは、年齢が35歳であることから逆算して、両親は紛れもない【団塊の世代】であることである。そして、彼は俳句形式を批判することも、親の世代が年金生活に入るのを待っていたかのようにデジタル・カメラを首から提げて、暇にまかせて写真俳句に耽溺することもしない。・・・《続く》