まほろば俳句日記

毎日見たこと聞いたこと感じたことを俳句にします。JーPOP論にチャレンジ。その他評論・エッセー、学習ノート。競馬も。

クーラーをいれろよ/北大路翼を読む(3)

2017-05-21 05:33:51 | エッセー・評論

クーラーをいれろよどうせ戦争だ   北大路翼 

クーラーをいれろよ」と周囲に叫ぶ場面を想像してみる。間違いなく夏である。そしてかなり暑い、熱いと言ってもよい。身心ともにとても耐えられないほどだ。しかし、その理由は違った。【どうせ戦争だ】というのである。戦争が迫っているということは、どうにもならない諦めが伴う。生殺与奪とはそういうことである。「どうせ」の一言がとてつもなく重い。作者はことし39歳。一昨年に出した『天使の涎』が、句集としては異例のベストセラーとなった。俳句の世界では新鋭として、まさに油の乗り切った年齢である。同時に、老境の詩とされて来た旧来の俳句に抜け落ちていた危うい自我をめぐる情況を、わずか17音の中にセンセーショナルに詠み込むという離れ業をやってのけた。・・・《続く》
 
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北大路翼 筆【歌舞伎町俳句一家屍派】

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【団塊の世代】彼らはいまも全共闘でありヒッピー/私とは誰か~プレおたく世代の現在(25)

2017-05-21 00:40:18 | エッセー・評論

私のひとつ上の世代である【団塊の世代】の反撃が始まった。狂い咲きといってもよい。彼らは私より5~8歳位上で、大学へ入学した時、すでに卒業していた。1969年前後の70年安保闘争に深く関わった者は、卒業が遅れたため私が1学年の時、まだ4年に留年していた者も例外的にいた。ほとんどが音も立てずにキャンパスから消えてゆき、社会に出ても出世の有無に関わらず、あまり目立たない存在だったようだ。と言うのも、彼らは結局のところ、さらに前の戦前・戦中世代に従属し、戦後の高度成長の残り火を守り通すことに奔走したからだ。私は彼らに続く【モラトリアム世代】で、彼らの去った1970年代を時代遅れと後ろ指を指されながらも、最後まで担い続けた。その彼らと偶然、様々な社会生活のシーンで出遭うと、決まってキミはいまもアノママか、と煙たがられたものだ。ただ、彼らは戦争を全く知らない戦後の初発のカウンター・カルチャーの旗手だった過去を秘めており、私のような後に続いた世代には何か郷愁を感じていたようだ。派遣などで彼らと企業でハチ合わせると、決まってこのまま社員として残らないかと声をかけてくれた。私たちにとって、彼らは常に良き先輩であり続けた。ただ、こちらから見ると彼らは常に【生きた化石】であった。何十年経っても、彼らは全共闘であり、ヒッピーであった。その彼らが、2010年代の現在、狂い咲いたように元気を取り戻している。定年退職という突破口を与えられて、数十年ぶりにまさかの【闘い】の感触を取り戻そうとしているかのようだ。・・・《続く》


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