まほろば俳句日記

毎日見たこと聞いたこと感じたことを俳句にします。JーPOP論にチャレンジ。その他評論・エッセー、学習ノート。競馬も。

【俳句の此岸】80年代の空無感に浸り始める/私とは誰か~プレおたく世代の現在(33)

2017-09-22 06:31:06 | エッセー・評論

私の1970年代の底無しの《絶望》を救ったのは、他ならぬ80年代の【ファッション原理主義】であった。遅ればせながら、80年代の《空無感》に参入する勇気を与えてくれた。ファッションの生息する【境界域】からの、精神への浸透(構成)力である。

1980年代とはいったい何だったのか?少なくとも前半は、何も無い《空洞》であった。70年代の中央線文化(関西フォークの在京拠点)の中心地【吉祥寺】に舞い戻り、79年の大学中退を受けて通信制大学への編入学など、モラトアリアム(現代のニートに近似)は続いた。時代は、元祖新人類の登場と【三無主義】の急進展による空虚感一色に染まっていった。60年代ロック(ニューロック)の延長戦としての70年代ロックは前半までで見事に消滅し、80年代に入ると70年代末に狂い咲いた【パンク・ニューウェイブ】がテクノとファッションに集約化され、街のアチコチで鳴り響いていた。70年後半に若者文化の突然変異態のように『宇宙戦艦ヤマト』ブームが起こったが、80年代のまだ未分化の【サブカルチャー】の前兆に止まっていた。ただ「テクノポップ」を中心とするニューウェイブ音楽は、ファッションにも飛び火し、あたかも70年代文化の進化形のように自己主張し始めた。前時代の自己回復の主体実存》の無効性は、これらを担った【元祖おたく】や【ポストモダン】の先駆けによって、いよいよ確実なものになっていった。私は、遅ればせながら【三無主義】の空無感に浸り始めていた。そんな私にとって、一つだけ魅力的だったのは、DCブランド・キャラクターズと呼ばれた一群の先鋭的なファッション・クリエイターの手による【超ファッション】であった。その中のアンチ機能主義的なダブダボ・ジャケットで身を包むことで、いくぶんなりとも時流に乗ることが出来たような安堵感を得ることがかなったのだった。・・・《続く》

「川久保玲」の画像検索結果

1980年代のファッション界を席巻した川久保玲。DCブランド【コムデギャルソン】の創始者。

プラスティックス他 テクノPOP集 1980頃

https://youtu.be/kO6yD2fNEUY?t=36