古ぼけた煙突一本雁渡し 遠刈田このごろ人間の声聞かず 手のひらのマリア観音秋夕焼 ゲスの極み乙女とは何だ夜這星(人気のガールズバンド) 花嫁は六十四歳良夜なり(桃井かおり結婚3句) 生きていてなんぼでしょ新酒酌む 桃井かおりのバイバイララバイ秋遠し 流星群地上に青きもの満てり 戦争はなかった寒星の光ます 障子張る影絵のごとき晩年かな 華厳経全一巻黄金の風吹けり
きのう金曜は予想通り18度までしか上がらなかった。今日も最高18度となっているが、雨の降る時間が短ければ20度になるかもしれない。11月に入って紅葉が始まると、さらに下がっていくに違いない。現在すでに気温の低下についてゆけず、身体に変調を来している。今月中にやっておかなければならないことが山積みされている。俳句はとにかく書き溜めしていけば自ずと答えが出る。まだ全体のレベルを上げる段階ではない。これまでおざなりにして来た他人の句や評論を読むことが必要である。①芭蕉が作り上げたこと、②それが子規・虚子らの近代俳句にどう受け継がれたか、③新興俳句の3点が第一段階である。第二段階は戦後俳句の出発(伝統・前衛の相克)と70年代以降の新しい展開、特に攝津幸彦らのアニと坪内稔典の船団が何をしようとして何を達成出来たのか、あるいは出来なかったか。これらに本当に中途半端に関わって来たので、明らかにならないと毎日の句作や俳句をめぐる思策の足枷になってしまう。それとこれらに関わりのない人間関係、つまり句会などの《座》は時間とカネの無駄で出来るだけ省きたい。私の所属する結社は関西のみのところで、その他の会員・同人誌も遠隔地のものである。ただ句や文章を送るだけで済む。この幸運を大切にして廃刊まで付き合いたいと思う。35年前に最初の入門をした時、近場でアレコレと無駄が多く、そのあげく積み上げた何もかもを捨ててしまうハメに陥った。結局、句集も出さず終いだった。作品や掲載誌も全て散逸してしまった。形に残ったものと言えば、拙作11句が収められた塚本邦雄編の『句句凛凛ー星曜秀句館』(季節社)という限定部数の出版物のみである。それもすでに手許には無い。句のレベルに関係なく句集を出しておくことは何より大切なことである。今後1年くらいかけてブログに書き溜めてあるものから300句程度を抽出する作業を少しづつ始めてゆきたい。・・・《続く》
蚯蚓鳴くサイレントプアといふ蒼さ 紐付きの湯たんぽ電気アンカといふ 冬瓜の魂の抜けたる肉体かな いのちまで冷ゆるは哀し朝を待つ ヒューマノイド2台もをれば冷え始む 林修のいまでしょ講座秋深し ゆたんぽのタオルの向こう山脈あり こほろぎの家ごと売られ沈黙す うそ寒の青山国連大学前 やや寒や前立腺のグーと言う 赤とんぼどっちを向いても闇ばかり 捨てられず山と積まれし秋の泥 安部薫は二十九歳で逝ったひょんの笛(夭折の天才サックス奏者) 猿酒や句集一冊編まれたる
帰る家果たしてありや秋時雨 南京が記憶遺産に秋時雨 デラーモのイタリア語講座秋時雨 ランドクルーザー怒りに怒る秋時雨 大千住祭ことしも夢か秋時雨 ノーベル賞つづく闇夜の秋時雨 黙契とは青空のこと秋時雨 稚児行列のイニシエーション秋時雨 コクーンタワーに命が灯る秋時雨 秋時雨涼野海音の一番線 秋時雨そっちの闇は甘いぞ 秋時雨傘は持たぬと決めている 墓終いなどもってのほかと秋時雨 草津から大津へ抜けて秋時雨
静かなる人路上に溢れ秋ふかし まほろばきのう木曜は23度まで上がり、夜は小雨が降ったので蒸し暑かった。これから明け方にかけては一転して冷え込むかもしれない。今日は0時過ぎに近隣のJR駅から徒歩で帰宅したが、数年ぶりに1時間ほど頻尿が出た。いまは落ち着いているが、健康食品などをとりながら安静にしていたい。金曜から20度を割り込む日が続くようだ。年齢的に冷えに対応出来にくくなっている。来月の結社大会のための関西行きは厳しくなった。本業も山積みされている。ギリギリまで迷いそうだ。そろそろ予定の【新俳句入門】を当ブログで書き始めたい。今月で20数年ぶりの句作再開の2周年になった。同人誌に文章も書き始めたので、その基礎学習も兼ねていろいろと考えたり、読んだりしたことのレポートとなる。・・・《続く》