クラブボクシング@ゴールドジム湘南神奈川

普通、湘南辻堂といえばサーフィンなのにボクシングでひたすら汗を流すオッさん達のうだうだ話!

Too Much Pain 最終回

2016年02月01日 | 日記
けいじ先輩の話のつづき


先に言っておくと、けいじ先輩は補欠でした。これとっても重要。

人並み外れたパワーこそ持ち合わせていたものの、そのせいもあってか、とにかくプレーが荒いんすね。
今思うと、小さいことを気にしなく器が大きかったのかもしれません。

滅多に怒らないし、でもキレたらケンカは強い。
先輩たちはキレるギリギリまでイジってました。


さて、ヤクザ顧問。おっかないけど、その暴力は訴えられることなく、むしろ生徒たちからは好かれてましたね。
昨年の同窓会にも呼ばれていたし。


で、この顧問がとんでもない事を言い出しました。

「もう仕方ねえな。けいじ、お前今日はキャプテンな。後、2試合とも1番。」

もう全員大爆笑。
私ももはや罪悪感などなく、笑うしかないんす。


そんな感じで、けいじ先輩を先頭にベンチ前で整列し、けいじ先輩の「いくぞ!」の掛け声でホームベースまで走り、両チームが整列しました。


我々は笑いを堪えるのに必死。
相手チームも一人だけ違うユニホームを着て先頭に立つけいじ先輩を見て、心なしか何人かは笑っていました。


初回我々の攻撃。
私は三塁コーチのため、コーチャーズボックスに立ちました。

すると、相手の三塁手が私に声をかけてきました。
「今日はよろしくお願いします。」

「こちらこそよろしくです。」

「ところでさ、何であの人試合用のユニホームなの?」

その質問に思わず吹き出す私。
「うちは、いつもキャプテンだけ試合用なんです。」

相手三塁手も笑い出しました。おそらく嘘だとわかったんすね。
「そうなんだ。面白い学校だね。」

「そうっすね。」


そして、けいじ先輩が打席に立ちました。

私はけいじ先輩が好きなんで、コーチャーズボックスから大きな声を掛けました。
(けいじさん、打って皆んなを見返してやりましょう)
そんな気持ちで声を出しました。


「さあキャプテン、打っていこー!(笑)」



おわり


ごめんね お母さん(後編)

2016年02月01日 | あの頃 朴は若かった

粗末なものでも息子からもらったプレゼントを母は心から喜んでくれました。

申し訳なく情けない少年朴竜。だって万引きしたものだから。いっそ、こんなもの要らないと捨ててほしいくらい。

それから母は家にいる時はおばさんパーマに毎日何本かの髪留めを付けてくれていました。今思い出せばちびまる子ちゃんのお母さんの髪型と同じパーマでした。

母は毎日、お兄ちゃんからもらった髪留めは使いやすく本当に便利。お兄ちゃんは親思いで優しい子だね~と声をかけてくれました。

その度に万引少年の心はちくちく痛むのです。

その髪留めはその後、私が社会人になるまで大事に大事に使われるんです。僅か30円の盗んだモノを母はずっとずっと大切に使ってくれていて、たまに思い出したように、小学校の時プレゼントしてくれた髪留め嬉しかったよ~と言ってくれるたびに心が張り裂けそうになるのでした。

十数年前に長く勤めていた証券在社を辞める際に退職金で纏まったお金が入ってきました。それで実家に新しい冷蔵庫、電子レンジやテレビを買い揃えました。

その後に勤めた会社を5年勤めて辞める際も退職金でユニットバスを設置してあげました。結構な金額でした。

私とすると少年朴竜時代の母親への申し訳ない思いを拭い去りたくての買い物でした。

昨年夏に職を失い帰省した時、少し呆けてきたは母は昔を懐かしむように、

お兄ちゃんからもらった髪留め嬉しかったよ。ありがとうね~と今でも繰り返すのでした。

オッさん朴竜はその度に
お母さんごめんね
お母さんごめんね
と心の中で呟くのでした。

あれから43年経っても
あの髪留めは万引きしたものなんだよ、
とは絶対に言ってはいけないんだなと改めておもうのでした。



おはようございます!

2016年02月01日 | 日記
3時に目が覚め、缶チューハイを飲んで一時間経過。

なかなかレッツ・ポジティブになれない冬の夜中。

人生は人それぞれ。
正解だったか、そうでなかったかなんて死ぬ直前まで分からんす。

ただひとつ言えるコト・・・let'sの後は形容詞ではなく動詞の原形です。