かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

硝子戸の中

2008-11-09 | まちかどの20世紀遺産

 明治村に夏目漱石が「吾輩は猫である」を執筆した当時に住んでいた家が保存されています。明治20年頃に建てられた昔はどこにでもあった普通の和風住宅ですが、縁側のある南側の書斎の「硝子戸」がとってもいいんです。木の枠でいくつにも分割された硝子戸のある縁側は、わたしが子供の頃住んでいた、昭和30年代の懐かしい我が家を思い出させてくれます。
 昭和30年代頃までは、ガラスの強度の問題でしょうか、現在のような大きな一枚ガラスを使用した戸や窓は無く、もちろんアルミサッシという画期的な建具は、影も形もありませんでした。当時のガラスは、木製の枠で幾何学的に分割されているのですが、その分割の仕方がなかなかに複雑で面白いのです。分割パターンとしては、シンプルな「田形」が効率的だと思われますが、戦前の民家の戸や窓はなぜかより複雑な「あみだ模様」を採用しているのが特徴です。戦後になると「田形パターン」も増えてきますが、より複雑な「あみだパターン」は、デザインそのものが時代を映す鏡のようで、現在も古い住宅の窓にその独特のデザインを見つけると、それだけで嬉しくなります。反対にどんな瀟洒な洋館も、窓がサッシに変えられていると、わたし的には「なんだかなあ~」となってしまいます。
 漱石は「硝子戸の中」という題名のエッセイを書いています。明治村の猫の家に住んでいたのは、明治36年から39年頃で、「硝子戸の中」を執筆した大正時代に住んでいた家は実際には別物ですが、猫の家と同じような硝子戸の中で、物思いにふける漱石の姿を想像するのは楽しいものです。漱石も現在のサッシのガラス戸では「硝子戸の中」という題名をつけることはなかったでしょう。「サッシ戸の中」ではやっぱり、「なんだかなあ~」と思ってしまいます。


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◆森鷗外・夏目漱石住宅/猫の家(明治村内) 
 庭に面した縁側付き書斎。ここで漱石は「吾輩は猫である」を執筆しました。
 現在でもこんな庭付き一戸建てなら住んでみたいものです。



◆書斎の硝子戸
 


 
◆戦前の典型的な「あみだ分割パターン」
 窓ガラスをこのデザインにするだけで、昭和レトロな雰囲気になるので不思議です



◆上のパターンをさらに複雑にしたアールデコ風のデザイン



◆シンプルな「田形分割パターン」


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