かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

オペラ座の夜/クイーン(1975年)

2014-02-05 | 音楽・オーディオ

 ぼくが中学~高校時代に洋楽(特にロック)にハマるきっかけは、その道の師匠ともいえる友との出会いがあったからだが、高校時代にはロックの第2の師匠ともいえるK君との出会いがあった。高2の時に同じクラスになったK君は色白の細面、髪をビートルズのマッシュールームカットのようにしたいわゆる優男、今で言う草食系男子の典型のようなタイプだった。ひょんなことからK君が大のロック好きと分かり、中学時代にヒロシ(第1の師匠)の影響で洋楽にハマっていたぼくは、すぐにK君と意気投合したのだった。

 K君はこの当時すでに、輸入盤を中心に洋楽アルバムを300枚以上所有していて、ハードからプログレまであらゆるジャンルのロックに精通していた。今思うと高校生で300枚ものアルバムを持っていたのだから、かなりの良いところのお坊ちゃまということだが、彼は月々のこづかいはもちろん、昼飯代もほとんどレコード購入につぎ込んで、メロンパン1個でがまんしていたかなりのツワモノでもあった。そんなK君からの薫陶もあり、ぼくは増々ロックにハマっていったのだが、一般庶民の息子だったぼくは、当時月1枚のペースでレコードを買うのが精いっぱい(当時レコードは高価で2000円以上した)、K君から借りるレコードはまさに頼みの綱だった。

 ある日そのK君が、「これ聴いてみ」と貸してくれたのが、リリースされたばかりのクイーンの3枚目のアルバム「シアー・ハート・アタック」だった。今でこそクイーンといえばロック界の大御所、洋楽ファンでなくても知らない人はいないビッグネームだが、この当時日本では一部の熱狂的なファンはいたものの、まだそれほど認知されていなかった。ぼくは一度もまともに聞いたことがないのに、どうせビジュアル重視のキワモノバンドくらいに高をくくっていたのだ。

 どうせ大したことはないだろう、と軽い気持ちでレコードに針を落とし全曲聴き終わると、これがまさしく「ムムムッ」なのである。曲はポップでキャッチー、バライティーに富んでいるのだが、音の厚みもあり、何より既成のロックバンドにはないクイーン独自の美学の世界をしっかりと構築していた。楽曲、テクニック、ビジュアルと三拍子そろったロックバンドは稀有な存在で、ツェッペリンやパープル、イエスなどの大御所に次に来る、新しい世代のロックバンドを渇望していた高校生のぼくには、はまさしく「ビンゴ!」だったのだ。翌年リリースされた「オペラ座の夜」の大貫憲章氏のライナーによると、デビュー当時はイギリス国内でもかなり酷評され、「ションベン桶」とか言われていたようだが、あらためてメロンパン1個でロック道を究めていた師匠K君の慧眼には感服するばかりだった。


■オペラ座の夜/クイーン(1975年)
 4枚目にして彼らの70年代黄金期を代表する1枚。たとえるならビートルズの「アビーロード」のようなアルバムで、メンバー4人全員が楽曲を提供し、曲想も変化に富んでいるが、トータルアルバム的な味わいもあり、ぼくの中では文句なしの彼らのベストアルバム。
 
 ブライアン・メイのカッコいいギターフレーズが印象的な「デス・オン・トゥ・レッグス」に始まり、最後のイギリス国歌「ゴット・セイヴ・ザ・クイーン」まで捨て曲なしで一気に聴かせる。当時このアルバムを初めて聞いたときの印象は、「カッコいい!」の一言に尽きた。特に今は亡きフレディ・マーキュリーがピアノの弾き語りで歌う「ボヘミアン・ラプソディー」は何度聴いてもトリハダもので、ぼくの中ではツェッペリンの「天国への階段」と並び、ロック史上に燦然と輝く不朽の名曲。






■クイーン・ライヴ・キラーズ(1979年)
 「オペラ座の夜」と並びぼくのお気に入りの1枚で、70年代最後を飾るクイーン初のライヴ盤。音質は今一つだが、70年代黄金期の楽曲が彼らの絶頂期のライヴ・パフォーマンスで堪能できる。
 クイーンと言えばやはりフレディ・マーキュリーの存在が絶大で、1991年彼の死によってクイーンの実質的なバンド活動は終焉を迎えたのである。