中村伝統建物群~その1
◆べんがら亭(旧稲本楼・旧日本料理稲本)/名古屋市中村区日吉町22
竣工:大正12年頃(1923)
構造:木造2階建
撮影:2012/09/22
※名古屋市都市景観重要建築物
中村日赤の旧玄関車寄を見た後、すぐ東側に位置する旧中村遊廓の「中村伝統建築群」を訪れました。名古屋市中村区日吉町、大門町、寿町、羽衣町界隈は、旧中村遊郭のあった場所で、この一角は現在も当時の面影を残す遊廓建築が残っています。
名古屋の遊興地区と言えば明治8年に建設された大須の旭廓でしたが、防災、風紀上の問題から大正12年に現在の中村区大門地区に移転され、中村遊郭が誕生しました。昭和12年頃の最盛期には、妓楼の数も140軒を数え、各廓が和風・洋風・中国風と意匠を凝らし、設備の豪勢さでも日本一を誇っていました。
現在は当時のままの外観を維持する建物は数えるほどになってしまいましたが、ほぼ正方形の区域の四隅に取り付く斜めの進入路など、今でも当時の計画的な町割りを見ることができます。各妓楼は木造2階建で、採光や通風のため中庭を中央に設けたロの字、もしくはコの字型の平面を持つのが特徴で、グーグルマップなどで見ると現在も十数軒の遊廓建築が確認できます。
稲本楼は大門地区の北端に位置する中村遊廓を代表する建物で、通りに面したべんがら塗りの派手な赤壁と中国風の門は、この建物がかつて普通の町から切り離された、遊廓という「非日常の世界」に存在していたことを雄弁に物語っています。この門から一歩中に入ると、そこはまさに現世を忘れることができる、この世の極楽浄土という別世界が待っていたのです。
しかしこの世に別世界を築いてきた中村遊廓も、昭和33年の売春防止法の施行により終焉を迎えます。稲本楼は日本料理店に転業しましたが2009年に閉店、現在は「デイサービス べんがら亭」として再利用されています。地域に密着した歴史的建造物を、駐車場やマンションにせず地域の高齢者のための福祉施設として再利用する方法は、高齢化が進む時代のニーズにもあっており、これからの近代建築の保存再生のひとつの形になることを願わずにはいられません。
■玄関より向かって左側の建物がデイケア施設として利用されています
■中国風の玄関~門柱の板には「来る者は拒まず、去る者は追わず」と刻んであります
※旧稲本楼に関しては、かの建築探偵、藤森照信先生の「建築探偵東奔西走/朝日新聞社」に詳しく、迷路のような通路や中国趣味の内装などカラー写真付きで紹介しています。興味を持たれた方はぜひ読んでみてください。
いつも残念な情報ですいません。
旧稲本楼ですが、先日通りかかったところ取り壊しが始まっていました…。
囲いと柵がしてあったのですが、あの門はもちろん全ての棟が取り壊し対象のようで
鮮やかなべんがら壁もユンボで無残な姿でした。ある意味負の歴史とはいえ「長寿庵」
といい、名古屋市の都市景観重要建築物の指定は何の効力もないですね。私物だから
仕方がないですが…。
旧稲本楼取り壊しですか。
中村遊郭の面影を残す当時の建物も数えるほどになっていまいました。
とくに稲本楼は中村の遊廓建築を代表する建物だっただけに非常に残念です。
これからも取り壊しも含め、近代建築情報よろしくお願いします。