素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

オリンピック考

2022年02月08日 | 日記
  2年間のランニング主体の生活から切り替えておよそ40日、やっと頭の方も切り替わってきたという感じ。その分、読書をする時間が増えた。今は「芭蕉の風景」(上)を中心に、気の向くまま読んでいる。

 北京冬季オリンピックが始まり、NHKの番組は五輪をメインになっている。時差が1時間ほどなので定時のニュースがそのままあり変則的でないのがありがたい。

 2020東京オリンピック/パラリンピックの招致から、準備、延期、開催までのドタバタ劇を見て「オリンピックとは?」という疑問が強く頭をもたげてきた。1964東京オリンピックをちょうど多感な中2の時に見聞したので〈オリンピック=神聖なスポーツ祭典〉という図式が刷り込まれているのは確かである。

 運営上のさまざまな問題点を指摘され続けてきても、それはその時に関わった人間の問題であってオリンピックそのものの価値とは切り離して考えていたが、予期せぬコロナ禍による延長をめぐってのIOCの動き、コメントから自分の中にあったイメージと距離感を感じた。

 夏季に連続する形で開催された冬季五輪、しかもオミクロン株による感染急拡大の最中という同じような状況での大会を見てさらに疑念が深まった。そんな時、新聞広告で「東京オリンピック始末記」(小笠原博毅・山本敦久共著/岩波ブックレットNO.1057)を見つけた。

 間髪入れず買い求めた。ブックレットなので60ページ余りの小冊子、今日一気に読んだ。
よく使われる「スポーツの力」という言葉は、「不都合な事柄を隠蔽し、棚上げすること」と解釈したら良いという指摘は鋭い。また「オリンピックは平和の祭典」というのも幻想に過ぎないと、近代オリンピックの誕生からの経緯から喝破する。外交的ボイコットが象徴する北京大会の裏で動く政治家を見ているとつくづくそう思う。

 私の中に巣食っているモヤモヤ感を考えるための視点ははっきりしたが、このブックレットは「やっぱりいらない東京オリンピック」(No993)という前著に対する始末として書かれたと「あとがき」にある。2つセットで読まないといけないなあと思い。すぐに注文をした。

 札幌が冬季五輪の招致に名乗りを上げている。感覚的には「もうやめよう」なのだがもっとしっかりしたものを自分の中に持ちたいという思いがある。しっかり考えていきたい。

 
コメント
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