今日、13時30分より武道館2F和室で、交野古文化同好会の主催で「親子で楽しむ郷土史かるた大会」が開催された。妻が、広報レポーターの仕事で取材に行ってきた。帰ってきて様子を聞きながらもらった資料を見ていると、最後の【京】の札に目が留まった。
「 京へ五里 大阪へも五里」
次のような解説があった。
いまは、あらゆる情報があふれ、世界のどこからでもリアルタイムに最新情報をキャッチすることができます。
しかし、我が国では、19世紀まで生活必需品の多くは船や牛馬によって運ばれ、耳寄りな話は人の口から口へ伝えられていたのです。
だから、交通の便の善し悪しで情報伝達の遅速が生じたのです。
京都と大阪の中間に位置した交野地方は、人の往来がひんぱんでしたから、必然的に各地の話題がもたらされ、珍しいものが伝達されました。
交野は京都と大阪へ夫々20キロ離れ、中間点に位置していたことが、かえっていずれの文化圏にも偏ることなく、独特の文化を醸成させたのではないかと見られています。
古くは、宮廷人の遊猟の場や和歌作りの吟行の地として脚光を浴びていました。
また、星を崇めた都人の思いが伝承されていることも周知の事実です。
稲作文化の伝来や天の川沿岸の条里制などは、交野市が誇ることが出来る文化遺産です。
授業で、線分の垂直二等分線(=2点から等しい距離にある点の集まり)の作図をやった時のことをふと思い出した。大阪、京都、奈良の庁舎を結んで三角形を作り、各辺の垂直二等分線を作図すると枚方(交野ケ原)で交わる。(=外心)大阪、京都、奈良という古くから経済、文化の中心だった所から五里(約20km)の地点に位置するということを実感できる作図だと気に入っている。懐かしくもあり、久々にコンパスを引き出しから取り出しやってみた。
ローカルなものだが、よくできているかるただと思う。
交野郷土史かるた
「 京へ五里 大阪へも五里」
次のような解説があった。
いまは、あらゆる情報があふれ、世界のどこからでもリアルタイムに最新情報をキャッチすることができます。
しかし、我が国では、19世紀まで生活必需品の多くは船や牛馬によって運ばれ、耳寄りな話は人の口から口へ伝えられていたのです。
だから、交通の便の善し悪しで情報伝達の遅速が生じたのです。
京都と大阪の中間に位置した交野地方は、人の往来がひんぱんでしたから、必然的に各地の話題がもたらされ、珍しいものが伝達されました。
交野は京都と大阪へ夫々20キロ離れ、中間点に位置していたことが、かえっていずれの文化圏にも偏ることなく、独特の文化を醸成させたのではないかと見られています。
古くは、宮廷人の遊猟の場や和歌作りの吟行の地として脚光を浴びていました。
また、星を崇めた都人の思いが伝承されていることも周知の事実です。
稲作文化の伝来や天の川沿岸の条里制などは、交野市が誇ることが出来る文化遺産です。
授業で、線分の垂直二等分線(=2点から等しい距離にある点の集まり)の作図をやった時のことをふと思い出した。大阪、京都、奈良の庁舎を結んで三角形を作り、各辺の垂直二等分線を作図すると枚方(交野ケ原)で交わる。(=外心)大阪、京都、奈良という古くから経済、文化の中心だった所から五里(約20km)の地点に位置するということを実感できる作図だと気に入っている。懐かしくもあり、久々にコンパスを引き出しから取り出しやってみた。
ローカルなものだが、よくできているかるただと思う。
交野郷土史かるた