素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

「赤い屋根」の話を掘り進めると金塊にたどり着く

2025年01月27日 | 日記
淡路島からの帰り道、車中で妻は何度も「淡路島へはたくさん行ったけど〈産直市場・赤い屋根〉は知らなかったなあ」と繰り返した。「ひょっとして新しくできたのかもしれない」と言ったら長女は「そんなことないやろ!建物のつくりをみたら今風とはほど遠い、昭和のにおいがプンプンした」と突っ込んだ。「確かにトイレは和式が主で、洋式は後から改修して設置した感じだった。トイレの仕様をみたら建てられた年代が推測できる」と私が補足。「昔からあるのに何でやろ?」と妻は繰り返す。でも、四国へ行くときは淡路南SAで休憩をとったらあとは一気に高松まで神戸淡路鳴門自動車道を走り、津名一宮ICで下りることはないし、地道を走るときは海岸線に沿った国道28号を走るので島の中央部にある「赤い屋根」を通る機会がなかったのは当然だと言った。「それもそうやな」とやっと納得した。

 「でも一度だけ津名ICで下りた記憶がある」と私が言うと「全然覚えていない」と妻。竹下首相が就任した時、地方に1億円をばらまくという施策があり、津名町はその1億円を金塊の導入に使い、「触れる金塊」として町内の「静の里公園」内に展示したのを見るために立ち寄った覚えがある。と言ったが妻は「全く記憶がない」とのこと。もう35,6年前のことだからいたしかたない。長女も中学生の頃だから同行していたと思うが妻同様「記憶にございません」の返事。

 「1億円の金塊」はその後どうなったのかと気になったので帰宅後調べてみた。神戸新聞Next(2022 ・10/10 18:00)の記事『国がバラまいた1億円で金塊を展示した町。あれから約30年、金塊は数奇な運命をたどっていた』が顛末がよくまとめられていて興味深く読んだ。

国がバラまいた1億円で金塊を展示した町。あれから約30年、金塊は数奇な運命をたどっていた

30年ほど前、国から自治体に一律1億円が託される「ふるさと創生事業」が世間をにぎわせました。基金(貯金)などに回す市町が多い中で、淡路島の津名町(現淡路市)が選

神戸新聞NEXT

 


 今度、四国に行くときは淡路南ICで下りて、津名町時代の1989年から2010年5月まで金塊が展示されていた「静(しず)の里公園」に、レプリカの四つの「金塊」が展示されているみたいなので立ち寄ってみたいと思った。

 地方創生ありかたについて改めて考えさせられた「金塊」の顛末であった。
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