素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

住所録作成一応終わり、父の年賀状へ

2011年11月15日 | 日記
予報どおり寒気が入ってきて、平年並みながら寒さを感じた一日であった。おかげで気持ちもひきしまり住所録づくりに集中できた。気持ちが張っていたのでその勢いで、父の年賀状づくりへと間髪入れずに移った。

 水彩画の淡い感じを出すのがむずかしいが、比較的うまく出来たと思っている。300枚の印刷が終わるまでは気が抜けない。

 夕方からは、サッカー、日本シリーズとスポーツ三昧。22年ぶりのピョンヤンでの対北朝鮮戦、究極のアウェイと言われるだけのことはあった。せめて引き分けで終わってほしかったと思う。クロスの精度の低さ、ゴール前でのシュートを打つ思い切りの悪さ、1対1の対応での軽さなどが最近の数試合で気にはなっていたが、今回もそのあたりに課題が残った。これからの長い戦いのなかでレベルアップしていくと思う。

 そういう意味では、今日の負けは良かった。

 圧倒的に不利という下馬評の中日が2連勝したので、俄然面白くなった。中日が今日勝って王手ではあまりにもつまらない展開となる。ようやくソフトバンクが1勝したことで本格的な勝負が始まったといえる。

 中日の落合監督については色々と言われているが、8年間好成績を残して来た事実が全てではなかろうか。1年、2年ぐらいなら勢いとか戦力補強で結果が出ることもあるが、長きに渡ってチームのレベルを維持するのは至難の技である。退任が決まった後落合監督は「来年のあくことを考えないで采配できるから、こんな楽なことはない」とインタビューの中で話していたがよくわかる。

 試合後のコメントに今までの辛口から変化があるが、来年を考えなくて良いからと考えれば当然である。落合、ザッケローニに共通しているところは、目の前の結果にこだわりつつ、引いたところから次を考えていること。個々人を大切にしながら、個人にたよらずチーム力、特にディフェンス力の安定を図っていること。

 V9の川上監督もそうであった。ONの攻撃力が目立つが、捕手の森をはじめとしてしぶいところでチームをしっかり支えている部分があと思う。あの時も“哲のカーテン”と言われ、すこぶるマスコミには評判が悪かった。強いチームを維持するには、監督のマスコミ受けするパフォーマンスは必要ない。
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住所録の作成もあと一歩

2011年11月14日 | 日記
 4回は転んだが、何とか住所録の打ち込みもあと一歩のところまでこぎつけた。行をずらさないために当てるのにちょうど良いサイズと材質だったのが、“風の丘・阿蘇大野勝彦美術館”で買ったのをいただいた栞である。単調な作業に“ことば”と“絵”もフィットする。操作ミスでせっかく入れた情報を消してしまい、一から入れ直さないといけない時などは、「仕方ないか、がんばろか」という気持ちにさせてくれる。

 ジムに行くまとまった時間はとれないので、気分転換は自転車を走らせること。年々“皇帝ダリア”の数が増えているように思う。3年ぐらい前は、育てている家も少なく珍しい花だった。それが今走っているとたくさんの家で見ることができるし、公園などでは群生しているところもある。何しろ背が2mから3m以上あるので存在感がある。

   慣れの問題だとは思うが、あまり数が多いと秋の景色から浮いた感じになる。秋には“はかなさ”がほしい。
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交野市健康福祉フェスティバルへ

2011年11月13日 | 日記
 広報“かたの”の取材もかねて会場のゆうゆうセンターにでかけた。10時の開会まで15分もあるというのに駐輪場はいっぱい。バザーのあるテント前は人だかりで、もう始まっているのかと思ったほどである。
   センター前のふれあい広場には、作業所、ボランティアグループ、老人福祉施設、NPO法人など40近くの店のテントが並び賑わっていた。センター内では医師会、歯科医師会、薬剤師会、保健所、学校給食センター、栄養士会などがコーナーを設けて啓蒙、相談活動をしていた。1階ロビーや4階多目的ホールでは各種団体による、演奏会、寸劇、歌体操などの催しを楽しんでいた。

  私は、写真撮影のかたわら、医師会コーナーで、血管年齢と体組成の測定をしてもらった。血管年齢は58歳であるから歳相応の血管弾力性である。体組成はジムの“イン・ボディ”と変わらない結果で、「筋力の衰える前に、歯止めをしておく」ということはうまくいっている。

“交野市医師会健康カレンダー2012”をもらったが、健康へのアドバイスとともに、第一生命主催の第24回サラリーマン川柳の作品をもとにした絵手紙(?)が描かれている。これが結構面白い。

睦月&如月  クラス会 あのマドンナが デラックス
弥生&卯月  うちの父 ジョギングしながら 医者に行く
皐月&水無月 使う人 腹が出てても スマートフォン
文月&葉月  山GIRL? 妻はお腹に 山がある
長月&神無月 ときめきは 四十路(よそじ)過ぎると 不整脈
霜月&師走  気をつけよう 夜廻り火廻り 腹廻り
 
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菊や薔薇が太陽ならば大文字草は月のごとし

2011年11月12日 | 日記
 家々の前に立派な菊の鉢が出ている。菊花展に行かなくても町内を歩くだけで充分楽しめる。また、秋薔薇もあでやかな色と姿を見せてくれている。これらはさしずめ“太陽”と言ったところ。それらに比べてひっそりとではあるが、我が家では“大文字草”の花が目を楽しませてくれている。
 小さな花ながら“大の字”をつくっているところがけなげである。“月”という感じ。

 月といえば、昨夜は天気も回復して満月をながめることができた。週間予報で「無理かもしれない」と思っていただけにラッキー感が増す。満月の写真は何度も試みたが、私の持っているようなカメラでは限界がある。昨夜は、カメラ抜きで月見を楽しんだ。

 漢詩の世界では圧倒的に多く“月”が登場する。陶淵明の“四時の歌”(しいじのうた)を見れば四季の代表的な景色に思いを馳せることができる。

春水満四沢   春水(しゅんすい)四沢(したく)に満ち
夏雲多奇峰   夏雲(かうん)奇峰(きほう)多し
秋月揚明暉   秋月(しゅうげつ)明暉(めいき)を揚げ
冬嶺秀孤松   冬嶺(とうれい)孤松(こしょう)秀(ひい)ず


春は水が四方の沢に満ちる。
夏は入道雲がすばらしい峰を形づくる。
秋は月が天に明るく輝く。
冬は嶺にすくっと立つ一本松の緑が鮮やかだ。(石川忠久編:CDブックNHK新漢詩紀行「聞いて楽しむ漢詩100選」より)

およそ1700年も前につくられたものだが、近所迷惑にならないように、そっと吟じてみると古さを感じることなく、ちょっといい気分になることができた。

 息子が今日は朝早く出かけるために、朝に強い私が“目覚まし時計”をたのまれていた。早起きは三文の得。6時前の明けかかった空に満月がきれいな姿で浮かび、バッチリ写真にもおさめることができた。
 

昨夜といい今朝といい、ダブルラッキーである。こんなたわいないことで元気が出る。
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今日は『1』のたくさんつく瞬間のある日

2011年11月11日 | 日記
授業風に

「起立!れ」「ちょっと待て!まだ礼は言うな!そのまま そのまま。 先生が手を下げた瞬間に“礼”やぞ」
「はい」「礼・着席」

「あ~すっきりした。」「何か意味あるのですか?」
「この授業は2011年11月11日11時11分11秒に礼をして始まったんや」 「しょうもな!」
「でもな“1”がこんなに続く瞬間はめったにないんや。次は100年後の2111年11月11日11時11分11秒やで」 「そりゃそうやけど」
「その次は9100年後の11111年11月11日11時11分11秒。もう人類が存在しているかどうかも怪しいもんや」

「わかった。わかった。だけど、何で“1”にこだわるの?」 「“1”にはちょっと思いいれがあるんや」「どんな?」
「長い話になるけど聞いてくれるか」 「まあ“1”の多くつく日やからつきあうは」

「そもそも人類が最初に獲得した数は1,2,3,4,5、・・・って知ってるやろ」 「だから“自然数”と呼んでいるやろ」「そうや」
「たしか自然数には“0”は入ってなかったんやな、なんで?」 
「疑問に思うのはわかるけど、“0”の話を始めるとさらに長く、ややこしくなるから、別の機会にな」 「わかった」

「この“自然数”を昔のギリシャ人は深く研究したわけ」 「今のギリシャは借金で大変やけど」 「集中」
「研究といっても生活とかけ離れたことをしたわけやない。ところで君の家族は何人?」 「ええ!?4人やけど」
「もしお客さんが来て、8個のお菓子をお土産にもらったら何を考える?」「う~ん1人2個食べることができるかな」
「どんな計算したんや」「8÷4や」「ようできるやん」「馬鹿にせんといて、中学生やで」
「もしお菓子が10個やったらどない?」「そりゃ余りが出て、2個の取り合いになるわ」

「人間の生活では物を分けるということはしょっちゅうあるから、割り切れる、割り切れないは大切なことなんや」「納得」
「4のように8を“割り切る数”のことを8の“約数”ということにしたんや。他にも8の約数あるやろ?」
「2でもいけるな。兄弟で分けた時やな。8もそうかな」「まだあるやろ。」「???」「誰にもあげへんという自己中やったら」
「一人じめの1か」「ピンポ~ン。8の約数は1,2,4,8となるんや」
「10やと割り切れないということは、4は10の約数ではないということやな」「そう!じゃ10の約数は何かわかるか?」
「簡単や、ひとりじめの1と2と5と10やな」「じゃ、2と5と12の約数わかるか?」
「まかしといて。“2”は1と2。“5”は1と5.“12”は、ぎょーさんあるで、1、2,3,4,6,12の6個」「大正解!」「中学生やで」

「ギリシャ人は、いろいろな自然数の約数を調べるうちに“1と自分自身は必ず約数になる”ということを発見する」
「そんなの当たり前やんか。“独り占め”か“全員1個づつ仲良く分けましょう”はもめないわけ方の基本やろ」
「当たり前のことを“きちんと意識することが大切なんや”コロンブスの卵やな」「説教はいいから、次、行こう!」
「そしてや、自然数を約数ということから分類をする。」「どんな風に?」
「約数が“1と自分自身しかない自然数"と“それ以外にも持つ自然数”とにや。さっきの5個の数を分けてみ」
「う~ん。 “1と自分自身"しか約数がない自然数は2と5で、それ以外の8と10と12は約数が多いな」

「そこで、ギリシャ人は2や5のように“1と自分自身しか約数のない自然数”を“素数”と名づけたんや」「どういう意味?」
「“素”というのは“もと”“何もない”“手を加えていない”というような意味合いを持つ語や。いろいろあるやろ」
「素人とかいて“しろうと”と読む」「プロになる前の人やな。夢があるうちや」
「素手(すで)で闘う」「手に武器を持たずということやな」「素面とかいて“しらふ”」「なかなか、しぶい言葉知ってるなぁ」
「素っ裸」「・・・・・体から離れよか」 「逆になるけど理科で習った元素」「物質の基本やから同じ意味の言葉を念入りに重ねている」

「じゃ、2や5は元素のように“数の素”ということ?」「そう、ギリシャ人は自然数の研究をする時、自然数をバラバラにしたわけ」
「ふ~ん」「人間の体でも機械でも、詳しく調べようと思ったらバラバラにするやろ。解剖や分解と言ってるが」「たしかに」
「自然数をバラバラにする方法は2つある。1つは“足し算”もう1つは“掛け算”にすること」「たとえば?4やったら」
「“足し算”だと1+1+1+1。“掛け算”だと2×2。という具合」「それやったら“足し算”がいいわ。全部1+・・になるからむっちゃ楽や」

「でも、それだと何も出てこない。だからギリシャ人は“掛け算”でバラバラにするほうを選んだ」「後から勉強する人間には迷惑な話な。」
「遅く生まれた者の宿命やな。あきらめよう。これを“素因数分解”と言う」「漢字が5つも並んでごっついな」
「“素”は素数、“因数”は数の部品という意味やと思えばよい。“分解”は掛け算の形にするかな」
「要するに、4を2×2のように素数の掛け算の形にする。ということやね」「そういうこと」
「8やったら、2×2×2」「ハイ。16やったら?」「2×2×2×2」「そう」「でも、同じ数を何回も書くの面倒やな」
「それで、2の右肩に小さく掛ける回数を書く方法を編み出したんや。そして8は2の3乗、16は2の4乗と言えば楽になる」「なるほど」
「12やったら2×6で、さらに6は2×3となるから、2×2×3。2の2乗×3か」「ピンポ~ン。3×4から始めても最後は同じ」
「素因数分解の結果はただ1つということ?」「そういうこと。じゃ、最初にもどって1から20までにある素数ってわかるかな?」

「簡単や、約数が“1と自分自身しかない数”やから、1,2,3,5,7,11,13,17,19の9個や。か・ん・ぺ・き」「ブッブ~、残念でした」
「どうして?」「“1”は素数ではないんや」「エ~?だって1の約数は1以外ないやん。たまたまかぶるけど“約数が1と自分自身しかない数”には違いないやん。他に約数ある?」

「ないよ。だけど素数の仲間には入れてもらえないのや」「何でやの?」「素因数分解のためかな」「どういうこと」
「さっきの12やったら、途中の行き方は違っても、最後は2の2乗×3とピシッと1つに決めたいんや」「それで?」
「“1”を素数にすると、2×2×3×1もあり、2の2乗×3×1の100乗でもとなり、1つに決まらんやろ」「たったそれだけ?」
「1つに決まらんとすべてが崩れてしまうわけ。」「かといって、4や8や10の仲間に入れるわけにいかない?」
「そう、素数に対して合成数と呼ぶのやけど、1が仲間に入れてとたのんでも」「1と自分自身以外に約数持ってるか?と言われたら」
「当然、ありません。」「てっことは“1”はどちらからも嫌われる“はみご”?」「そういうことかな」
「なんか、カワイソ~」「それで、“1”のことを勝手に“孤独数”と呼んでいたけど、最近は“孤高の数”と呼ぶことにしているんや」
「それの方が、気高く数千年を生き続けているという感じでいいわ」「これが“1”への思い入れの話や」「えっ!え~それだけの話なん?」

「まあ独りよがりな勝手な思い入れにつきあってもらってわるかったけど。最後に、宿題や」「何やそれ」
「素因数分解はいろいろ役立つけれど、素因数分解の結果から、その数の約数の個数がすぐわかるんやで」「どういうこと?」
「たとえば、360は“2の3乗”ד3の2乗”×5となるやろ。約数の数は24個や。たしかめてみ」
「1,2,3,4,5,6,8,9,10,12,15,18,20,24,30,36,40,45,60,72,90,120,180,360やから確かに24個や」
「さあどんな計算をしたんやろ。月曜日までの宿題。起立。礼。じゃ。」
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