素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

交野チャリティーマラソンに向けてのラストラン

2015年04月15日 | 日記
 明日から1泊2日で下呂、高遠へのツアーにでかけるので日曜日にある交野チャリティーマラソンに向けて今日は最後の追い込み日となる。ピラティスのスタジオレッスンの後筋トレを3セットをこなしたところでいつもと違い帰宅した。あまりに早い帰り支度にHさんは「体の調子が悪いのか?」と心配してくれた。「ランニングマシーンは単調でストレスを感じるのでここれから外を走るつもりです」と答えると「今からか?」と呆れていた。「いろいろあるんですよ」としか言いようがなかった。

 帰宅してすぐ寝屋川公園を往復する10kmコースを走った。体は温まっているがピラティスと筋トレ3セットの疲れは残っていた。このコンディションで走っておけばマラソン当日のタイムの目安がたつ。筋肉の疲れは感じたが心肺系統のほうは随分楽になってきた。1週間前に走った時よりも2秒だけ早く1時間6分3秒でのゴール。このあたりが今の力だろう。

 下呂温泉にゆっくり浸かり、長年行きたいなと思ってきた高遠城址をめぐって心身をリフレッシュしてこよう。問題は不安定な天気。吉か凶か?これもまた運試しと思えばよい。
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第4次産業革命?

2015年04月14日 | 日記
 ドイツ政府は「Industry(インダストリー) 4.0」と称する高度技術戦略を掲げ、産官学一体のプロジェクトを推進している。その大きなイベントが開かれるとニュースで報じていた。

 インターネットなどの通信ネットワークを介して工場内外のモノやサービスと連携することで、今までにない価値を生み出したり、新しいビジネスモデルを構築したりできる。ひいては、それがさまざまな社会問題の解決に結び付くというのだ。

 Industry 4.0という名称には、人類の長い歴史における「第4次産業革命」という意味が込められている。第1次は、18世紀から19世紀にかけて起きた、水力や蒸気機関による工場の機械化。第2次は、19世紀後半に進んだ電力の活用。第3次は、20世紀後半に生まれた工場などで自動制御に使われる装置による生産工程の自動化だ。Industry 4.0は、これらに比肩する技術革新として位置付けているのだ。

 これで人間に幸福をもたらすのかな?と漠然と考えさせられた。便利さは人間の手から労働を解放してきたが、一方で失業者を生む。人間の代わりに働いたロボットが給料をもらいそれを人間が受け取ることができるなら別だが、世の中そんなに甘くない。

 効率化で余った時間を余暇に利用できるかといえば、さらにその余った時間に仕事が入り多忙化しているということも起こっている。

 コンピュータによるシステムの充実は飛躍的に情報量を増やしたが、アキレス腱のごとき脆弱性も持っている。バラ色の未来とは言えないのではないか?

 
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八重桜満開

2015年04月13日 | 日記
 「季節の移ろいを感じる小道」の八重桜が満開を迎えた。土、日とジムを休んだ間に様変わりしていた。せっかく花が開いたのに今日の天気は気の毒である。春の嵐と言ってもいいぐらい強い風が枝をゆらす。中には花の重さに耐えかねて枝ごと落ちてしまっているものもある。無粋な風だ。
   ピンクのトンネルを自転車で走るのは気分がホットになる。でも下手をすると頭が枝にあたるので前かがみ上目遣いとなる。1本だけある白もアクセントになっている。

 統一地方選挙の前半戦が終わり結果としては番狂わせはなく、民主党が議席をすべてなくしたというのがちょっと目を引いたぐらい。大阪都構想お巡る住民投票の行方も五分五分で予断を許さない。今の天気と同じである。

 
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カランコエの花期の長さに驚く

2015年04月12日 | 日記
 イベントに使った竹をもらったので有効利用しようと玄関に吊るし、本棚に置いてあった造花のミニ鉢を入れた。うまく収まったが両隣のスペースを埋めるともっとさまになると考えた。たまたま通りかかった花屋の店先にあったカランコエのミニポットが大きさ、花の感じ、値段が手頃だったので買い求めた。昨年の12月だったと思う。それから4ヶ月余り、途切れることなく花を咲かせ続けている。以前にもビオラやパンジーなどとともに手品師のようだと書いたことがあるが、このロングランにはいささか驚く。

 春の花の季節になると順番待ちのように次々と咲いていく花を見て、その生命力のたくましさを感じる。とともに散りゆくさまを見て「花の命は短くて・・・」などと感傷的にもなる。しかし、カランコエはしたたかである。どんなシステムが内部に組み込まれているいるのだろうかと思いながら毎朝、新聞を取りに出る時に眺めるのが常となった。
 もう1つ玄関を華やかにしてくれているのがヒマラヤサクラソウ。たくさんのサクラソウが我が家にはあるが、これは新人。
 明日からまたはっきりしない天気が続くみたいなので午後、打上治水公園までの10kmコースを走ってみた。前回よりも前半の下りをスピードアップしてみた。どこまで1km6分以内が維持できるかを試したかったからである。

 6kmは維持して残り4kmはじりじり失速。結果1時間5分4秒、1km6分30秒ペースであった。
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久々に教育現場の夢を見て冷や汗の目覚め!

2015年04月11日 | 日記
 来週の日曜日、19日が交野チャリティーマラソン、これで一応大阪マラソン、寝屋川ハーフマラソンと続いた流れの区切りとなる。そのため今週はジムにせっせと通いスタジオレッスンを含め中身の濃いメニューをこなした。おかげで心地よい体の張りがある。

 この6年間の生活の中で「筋肉が活性化するとインパクトのある夢を見る」という仮説が私の中に生まれ、確信になりつつある。昨夜はそういう意味で公算大のコンディションであった。加えてむらの高等支援学校の校歌や学テの内申書活用に刺激を受けたので冬眠していた教育現場での記憶が呼び覚まされたためきっちりと学校が舞台の夢を見た。夢だからつじつまの合わない展開の物語がオムニバスのように流れたのだがざっと言えばこんな内容だった。

 サッカーの試合をしていた。相手は長尾中学校だった。(いくつかあったライバルで潜在的に残っているのは長尾中か?)接戦で、選手交代のタイミングに悩んでいた。結果、劇的な勝利をおさめて、意気揚々と校舎に入ると忙しく動き回っている何人かの先生がいた。「日曜日なのに来てるんですか?」とお気楽に尋ねると「明日からの中間テストの印刷に来たんですよ。でも印刷機が故障して」という返答。「明日の1限目数学でしょ、もうできてますよね」の一言で、試合に勝った高揚感は急降下 印刷どころか試験問題の案のかけらもない始末、あったのはサッカーのことだけ。一緒に同学年を担当している人がつくっているものと思い込んでいたが、それは単なる思い込み、「今から案を!」「相棒との打ち合わせどうする?」「印刷機が故障!」「間に合うんか?」などなどで冷や汗が出ているところで現実の世界に戻ってきた。実際、心臓はドキドキして、冷や汗をかいていた。

 学校の生命線は授業である。そしてその成果をためすテストも重要な要素となる。学校でなされていることを削って行ったら最後に残るものだろう。授業の質とテストの質は比例している。そういう意味でテストづくりにはプレッシャーがあった。いまだに潜在意識の中にのこっているのだということがわかった夢であった。「早くすっかり忘れたい!」と思いつつ、昨日の続き。現職の人に聞きたいと思う疑問が2つある。

 1つは、新聞の記事の「府の高校入試の内申点は、来春から5段階の絶対評価となる。まず中学2年の3学期に実施するチャレンジテストを使い、5段階の分布を決める。昨年度分の結果では、5が12%・4が25%・3が41%・2が17%・1が5%となって平均は3.22となる。」という部分。割合を決めたら絶対評価ではなく相対評価の亜流では?ということである。昨日取り上げた大阪市教委のQ&Aにはこうなっている。

 【Q6】大阪市の方針が5段階評価の成績「5」は31%、「4」は38%、・・・と決めてしまうのなら、相対評価と同じではありませんか?

【A6】絶対評価の本来の意味は、学校間で共通の評価尺度を用いる評価です。大阪市教育委員会の方針は、大阪市統一テストという共通の評価尺度を活用して公平・公正な「真の絶対評価」を実施することです。具体的には、2つの方法で統一テストの結果を活用します。
活用方法の一つは、大阪市統一テストの全市の得点分布において上位に入る生徒には評点「5」や「4」を与えるものです。大阪市統一テストの全市の得点分布において、上位7%に入る生徒には必ず評点「5」を与え、上位31%に入る生徒には必ず評点「4」以上(学校の判断で「5」もありうる)を与えるのです。これは、全市共通の評価尺度である統一テストの結果を生徒個々人の評定に反映するという点で、「真の絶対評価」であると言えます。
もう一つの活用方法は、大阪市統一テストの全市の得点分布において上位に入る生徒が多い学校には、評点「5」や「4」をより多くの生徒に与えることができるようにするものです。大阪市の方針が定めている5段階評価の成績「5」は31%、「4」は38%というのは、いわばどの学校にも最低限保証される割合です。統一テストの結果、仮にある中学校の生徒の60%が全市の得点分布において上位31%に入ったとします。その場合、その中学校は、評点「5」を(31%ではなく)60%の生徒に与えることができます。評点「4」についても、同様に大阪市統一テストの結果を活用します。これにより、相対評価の問題点として指摘される学校内の順位だけで成績が決まるのは不公平であるという問題を解消します。この点でも、大阪市の方針による評価は「真の絶対評価」であると言えます。


 そうなると基準となる統一テストの中身、質が非常に重要になってくる。今までさまざまなところで真の絶対評価を求めて取り組まれたが、この段階で挫折してきたのである。作ってみたらわかるがとても大変な作業である。私はできなかった。小学校の1クラスぐらいの単位であれば可能だが、集団が大きくなればなるだけ困難になる。大阪府が「学テ」にすがった気持ちは、そういう意味ではわかるが結果としては矛盾の拡大につながると思う。

 共通の評価尺度は言うは易いが作るのは至難である。

 もう1つの疑問は、ペーパーテストだけではない実技も重んじられる音楽、美術、保健体育、技術家庭の絶対評価の共通の評価基準は何だろうか?ということである。

 こんなこと考えているとまた今夜、あの悪夢の続き見るといけないからやめておこう。体のほうは完全休養日としたので筋肉はリラックスしている。
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